食道癌患者にとって大切なケン三郎先生のブログの新しいURLはhttp://furuhata.exblog.jp/です。


ところで、8月4日から21日まで18日間、ヨーロッパ5カ国を回って来ました。2006年5月に食道癌発覚、夏の間の化学治療+放射線治療の後、9月に食道摘出手術。


旅行の大好きな私にとって旅は回復トレーニングでした。2007年の2月にはスコットランドとイギリス。その2か月後には日本へと様々な旅行を始めました。


今回の旅は1日5キロから10キロは歩き、午前3時起きで飛行場に向うという様な無茶もしましたが、食道のないハンディを殆ど感じない旅になりました。やはり6年です。旅の詳細はここをどうぞ。

今日は1年に1度の外科医との検診。仕事とぶつかったとか、旅行に出掛けると言ってははアポイントメントを伸ばしていたために、ちょうど術前の化学治療、放射線治療から丸6年のタイミング。今年の9月には術後丸6年を迎えることになる。


「さすが6年」とでも言うべきか、CTスキャンさえもコントラストなしだったので朝ご飯を抜く必要もなし。お医者さんとの会話も「元気?うん」程度。体重が未だに43キロだったのはちょっとショックだったけれど、ここのところ仕事が忙しかったからにちがいない。


「僕がここで仕事をしている限り1年に1度は検診する」と言われた。そういえば腫瘍内科医も放射線科の医師もそう言っている。多分統計をとっているのだろう。日本ではどうなのかしら。

仕事、出張、旅行とバタバタしているうちに癌治療を開始した2006年6月から丸6年が過ぎた。その様子はid:kuwachann-2_0ここに記した。


ところで、中村勘三郎さんが初期の食道癌というニュースを読んでびっくりした。なぜなら、私は勘三郎さんがまだ勘九郎と名乗っていた2004年に間接的ではあったけれど一緒にお仕事をし、お話をする機会があったからだ。


2004年の7月、勘三郎さんは平成中村座を率いてNY公演をなさった。NY公演はNY市警察を舞台にのせる大々的なものだったのだが、その1週間前ボストンのCutler Majestic Theatreで「棒しばり」と「連獅子」(息子の七之助さんと共演)の小さな公演をなさった。その時私はジャパンソサエティを通じて照明係の通訳として雇われ、舞台の設営、練習、本番まで3日にわたる仕事をさせていただいた。それはそれは興味深かった。


このCutler Majestic Theatreと言う劇場はボザール様式の1908年にオープンした美しい劇場だがすっかり廃墟化していた。しかし1980年代に巨額を費やして補修作業が行われ往年の姿に戻され、とても話題になっていた。


さて、どうやら設営が終わった最初の日の夕方のこと。ぼーっと一人で美しく出来上がった舞台を見ていると、横に勘三郎さんが来て「美しい劇場ですよね。こんなところで公演できるのは感激です」とおっしゃった。あの有名な勘九郎(当時)さんが私に話しかけている!すっかり舞い上がったのだが、「ほんときれいですよね」ぐらいの受け答えしかできなかった。でも、その瞬間の思い出は私の宝物になった。


舞台の裏方のお仕事をすると色々な特典がある。その仕事のおかげでニューヨーク公演のドレスリハーサルのチケットも頂き、ニューヨーク公演も見せて頂いた。


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その勘三郎さんが私と同じ食道癌。私は本当に普通の人で芸能界などとの接点は全くない。なのに、私がたまたま会ったなかにし礼さん、そして勘三郎さんが食道癌にかかった。とっても不思議だ。


なかにし礼さんは手術をしない治療法を選ばれた。勘三郎さんの癌は初期とのこと。どうか内視鏡手術で治療できますように。

なかにし礼さんが食道癌に罹り休業を宣言された。

なかにし礼さんとは4年半前に1日だけお仕事をご一緒した。その前に彼の著書「兄弟」を読んで感動していたので本を持って行ってサインをしてもらった。

私はその日のブログに彼のことを以下のように記している。
「白髪が見事な氏は眼光が鋭く、好奇心が旺盛で、ギラギラとでも言うようなすごいパワーがあった。」

たまたまお会いするチャンスがあり、凄い人だなと感動した方が自分と同じ食道癌に罹ったというニュースには心がいたむ。ウェブの記事によるとステージは2期らしい。私の食道癌の最初の診断は2期と3期の間だったので、摘出手術に加え、化学療法、放射線療法が使われ治療の負荷も大きく回復にも時間がかかった。日本は米国よりも内視鏡によるESD手術がとても進んでいる。できれば内視鏡手術で済むことを心から祈っています。

ところで、小澤征爾さんが今後1年間の指揮活動から降板した。主治医からの「音楽活動の傍らのリハビリでは、体力が本来の指揮活動を行うに十分なまでに回復することは困難と考えられる」との発言がyahooニュースに出ていた。

小澤さんよりはずっと若いけれど、同じ癌にかかり、同じ手術をしたものとしては、その回復の大変さが良くわかる。小澤さんの場合は、それに加えて椎間板ヘルニアもある。あまりにもスローな回復でイライラなさることも多いかと思うのだけれど、どうかじっくりとリハビリをして、元気になってください。

心からお二人の回復を祈ります。

今日は腫瘍内科医の検診。癌の発覚から5年9ヶ月。日本では何年間検診するのか知らないけれど、米国では少なくとも10年間、腫瘍内科医も、外科医も、放射線科医も検診をしてくれる。こうやってフォローアップされることで、私も症例の1つになり統計の母数になっていくのだろう。


ところで、私のブログを紹介して下さっている雄三さんサイト「癌との闘いと医療について - 食道癌闘病記と患者側からの一私見」で「長生きしたければ、がん検診は受けるな」という岡田正彦先生の記事を紹介なさっている。


http://gendai.ismedia.jp/articles/-/31785


食道癌の早期発見で命拾いしたものとしては、ギョッとした記事だったけれど、どうやら、先生の言いたいのは過度の検診は意味がないと言うことらしいのでほっとした。今のツイッター社会では見出しが内容をゆがめてしまいがちだから、読む方も用心しなければならない。また、確かに早期の癌で自覚症状がない場合、治療がとてもつらい。特に患者が高齢の場合は「どんな治療をどこまでするか」を充分に検討すべきだと思う。


ところで、すごく素朴にもし私の癌が早期(と言ってもステージ2)で発見されなかったらどうなっていただろうかと考えてみた。米国では「人間ドック」とは呼ばないけれど、1年に1度の主治医との検診があり、血液検査や尿検査、メタボの測定他、生活習慣のチェックをした後、コロノスコピー(大腸癌検査)やマンモグラフィー、婦人科検診などをスケジュールしてくれる。私の場合、その時に「3か月咳がとまらないんですけど。。。」と訴えたのが契機で癌が発見された。


想像するに、自分で「これはおかしい!」と感じた時点で医者に行ったとしたら、それは飲み込みに不自由が出て来た時にちがいない。その時点では癌が食道を塞ぎ、深く進行し,ステージ的には必ず3期以降。つまりリンパに飛んでいて、転移が避けられない状況になっているだろう。体重も減っていて手術に必要な体力がなくなっているかもしれない(2期でも、体重は減りつつあったのだ。)食道癌は質が悪いから、多分今頃は死んじゃってたにちがいない。


少なくとも食道癌に関して言えば、早期に発見されれば内視鏡による治療が可能だ。開腹手術に比べ、術後のクォリティオブライフも段違いにいい。早期発見がとても重要だと思う。


ごく最近知人がメラノーマの治療を受けた。癌の発覚は去年の秋だった。前から足の皮膚に異常があったのだが、フルタイムの仕事に就いていなくて医療保険がなく検査を先延ばしにしていた。やっとフルタイムの仕事+保険を獲得し、医者に行ったところ直ぐ手術。すでに3期まで進行していてリンパへの転移があったので術後は治験フェーズ3の新薬の化学治療を受けていた。しかし、この週末、ひどい大腸炎で病院に担ぎ込まれ、現在検査中だ。大腸に転移してしまったかもしれない。メラノーマも早期に発見すれば、局所の癌細胞を切除する小さな手術で治療できる癌であるだけに残念で仕方がない。


さて、岡田先生の記事には同意できる所も沢山あったけれど、疑問に思ったところもかなりあった。


そのうちの一つがCTの被爆で癌が発生する米国のリサーチというくだり。食道癌にかかり、3重の治療をした私は放射線治療に加え、数えきれないほどのレントゲン、CTスキャンMRIを撮っている。今日腫瘍内科医に聞いてみたところ、 これはケースリサーチであり、因果関係を確定するものとしては精度の高いものではないとのことだった。しかし「治療による被爆には可能性はある」とのことだった。

幸運なことに、およそ6年前にあれだけ被爆(治療)したにもかかわらず、まだ甲状腺も大丈夫。最近は癌に罹ったことを殆ど忘れて生活している。IMRTという当時最新の手法で臓器を保護したからかもしれない。危険を伴わない治療なんて存在しない。その時点の最善の選択をして、後はケセラセラだと思う。

http://tabinobu.blogzine.jp/のブログを書いていらっしゃる「のぶさん」からツイッターでフォローしますという連絡を頂いたのは2週間程前。のぶさんは今年の1月26日にご主人を食道癌でなくされた。

その彼女が「こんな医師に早く出会いたかった」とツイートなさった記事がこれ。中川恵一さん(東京大学医学部附属病院放射線科准教授/ 緩和ケア診療部長)のインタビュー記事だ。とても素晴らしい記事だったのでご紹介。
https://aspara.asahi.com/column/medi-kataru/entry/m8E202KVQW

とても興味深かったのはこの医者も前のエントリーに書いた私の医者も放射線科の医者であること。手術をする外科医ではなく、根治、姑息にかかわらず患者と定期的に会って患者と向き合わなければならないお医者様だ。

このブログで何回も書いているのだが、米国と日本の癌治療の大きな違いは腫瘍内科医の数の違いだと思う。腫瘍内科医は専門機能としては化学治療を受け持つのだが、役割は患者のケアマネジャー。治療の要に立って、外科医や放射線科医との治療をコーディネイトしてくれる。患者に対して責任をもつ立場だから、セカンドオピニオンの相談も、治療選択の相談もしてくれる。

中川医師は「治ってしまえば一番いいのですが、治らなくてもそれを支える医療がある。支える医療によって実は延命さえできる。私のような放射線治療や緩和ケアの専門家は、がんの種類を選ばず、入り口から出口までがん全体が非常によく見えます」と言っている。こんな医者が米国では腫瘍内科として独立していて、癌に特化した主治医になっている。

最近の日本の状況は分からないけれど、少なくと2、3年前、その数字はとても少なかった。中川医師はインタビューの中で「開業医の先生たちにも癌の入り口と出口でぜひかかわってほしい」と言っている。もちろん今の日本の状況ではそうなのだが、腫瘍内科医という専門職が増えると入り口、出口の患者の対応がうまく進むように思う。

2月10日金曜日は放射線科医との検診だった。もう5年生存を達成したのだが「生きている限りは検診する」と言われている。


体重、血圧、体温の検査の後は、首と腋のリンパ節を調べて終わり!会話の内容はヨーロッパの経済、米国の景気、最近の治験の現状など。


「5年ってすごいですよね。何だか癌にかかったことも脱ぎ捨てちゃった上着みたいな気がします」(とうまくは喩えられなかったけど)と言ったところ、答えが面白かった。

「僕は全くの素人ではあるけれどね、世界中の宗教を見てみるとね、だいたい3年で嘆きのサイクルが終わるんだよね。癌に罹るってことは1つの喪失だからね」

確かに自分の回復の歴史を振り返ってみても3年で一段落がついたような気がする。

この先生、私が抗がん剤放射線のダブル治療でひぃひぃ言っていた時にはトルストイの短編「イワン・イリイチの死」の話をしてくれて、「君はイリイチの描写と全く違うから大丈夫」と言ってくれた。これから死ぬまで診てもらえるわけだから、親友ができちゃったようなものである。得したなぁ。


さて、2、3週間前に「小澤征爾さんと、音楽について話をする」(by 村上春樹)を機上で読んだ。村上春樹が小澤さんに2010年11月から2011年の7月にかけてインタビューした会話を忠実に書き留めたものだ。小澤さんの癌が発覚したのが2009年の12月だから、小澤さんにとって回復期の身体がニューリアリティになった時期。インタビューの所々に含まれている「小澤さん餅を食べる」などの描写がちょっと痛い。その後の回復も順調であることを、心から祈ります!

ところでこの本、鬼才の2人のダイアローグとしても凄く面白いのだが、今は出て来る音楽をyoutubeで聞きながら読み返している。素人がクラシックファンになっちゃいます。その重層な内容は1600円では安過ぎです。