2006年の5月に食道癌の診断を受けてから、今日で3度目の新年を迎える。2007年の新年には「がん患者のチャプター」を閉じる意思表明をし、2008年の新年は(最後)拡張手術の翌日だった。2009年の今日はオハイオ大学院時代の友人で2006年に卵巣癌で私と同時期に卵巣を摘出したジャネットとお昼を一緒に食べた。


2006年から今まではあっという間だった、と言ってしまいたいし、そう感じることもある。しかし回復に向けての毎日は物理的な闘いだからだろうか、正直なところ2006年は大昔のような気がすることの方が多い。そして事実ここ半年ほど「私53歳です」と人々に言い続けて来た。つい先日「まだ52歳なんじゃないの」と指摘されるまで心の底からその年齢を信じていたのだ。


「物理的な闘いの日々」と書いたけれど、苦渋に満ちていた訳ではない。単に濃厚だったのだ。そしてそれは「闘病」というような大げさなものではなく、限られた現実を粛々と受け止め一歩一歩足を踏み出しただけのことだった。とまれ、ケモラジは死なない分量の毒をもられながら、患部を焼いてしまう治療だから、とにかく不透明に気分が悪い。摘出手術の方は術後身体の構造が全く変わってしまうので、何が正常で、何が異常なのか分からない。術後の回復はケモラジの気持ち悪さに較べると分かりやすく、進捗を意識できるけれど、最初の一年は自分の身体の新しいベースラインの把握で過ぎた。


摘出手術の2、3日前に腫瘍内科医に「you will be a new person」(全く新しい貴方になるよ=生まれ変わるよ)と言われたのだが、私はそれを比喩と受け取った。そして術後はずっと「いつかは前と同じように食べられるようになる」という幻影を追っていた。そして喉に食べ物を詰まらせては狭窄が起こっているのかもしれないと思い、何度も拡張をしてもらった。しかし彼の言葉は比喩ではなく事実だったのだ。気をつけてゆっくり量を調節しながら食べないと胃管はつまるものなのだ。術後2年たってやっと「胃管とはつまるものなり、それが正常」の事実を受け入れることができるようになった。反面もしかしたら「胃や食道があった時代」を忘れかけているのかもしれないけれど。


食べるという物理的なことだけでなく、仕事へ復帰も旅行もやはり闘いだった(んだと思う。)少ししか食べられないということ、喋りながら食べられないということで、体力的なハンディを負うことになる。それに突然襲って来るダンピングをだましだまし仕事をしなければならないことも多々ある。50歳を過ぎると健康な人はピーク時の体力、頭脳、ルックスからの衰退を意識し悩み悲しむかもしれない。でも私の場合「あ、これだけ復帰できた」「これだけ無理が出来るようになった」と言う感動を味わえて、とても幸運(本当に)だったと思う。もっともそのせいで毎日がとっても濃くて1歳、年齢のサバを読んだのだろう。


ところで、摘出手術直後の患者さんには「育児記録のブログ」を読まれることをお薦めする。「You are lika a baby. You need to learn how to eat」(君は赤ちゃんみたいなもの。食べ方を学習しなきゃ)と医者から言われた。勿論半分は比喩なのだが、私はたまたま私のブログに書き込みをしてくださった方の離乳食のブログを毎日読んで自分とスピードを比較した。昨日と今日の間には著しい進歩はない。でも1週間、10日、1ヶ月の単位で見るとどんどん進歩して行く。そのスピードはまさに私の回復のスピードと一緒だった。ローマは一日にしてならず、ではないけれど人間がちゃんと物を食べられるようになるには根本的に長い時間がかかるのだ。



もう一つ、これはお医者様への提案。食道摘出後には咳が出るのが当然だと思われている。私の場合癌発見につながった唯一の症状が咳。喉が過敏だったらしい。術後、喘息ではなかったけれど喘息薬のAdvairを処方してもらった。単なる対処療法だったけれど薬を半年弱続けた。咳がなくなったことで身体の負担がとても軽くなったし仕事に復帰することもできた。そして薬をやめた時には咳は全く出なくなっていた。お医者様からみれば「いつかは消えるもの」かもしれないけれど患者にとって特にお年寄りにはかなりきついものだと思う。

****

現在はkuwachann-2_0、id:kuwachann-2_0の日記にノー天気な記録を付けていますが、検診のような大きなイベントがあった時はこのブログもアップデートしています。。

もし万が一(読者がいると想定して)食道癌のことで質問がおありでしたらいつでもコメント、あるいはプロフィール欄のメールでご連絡ください。