米国の夏の終わりはLabor Dayと呼ばれる9月の最初の月曜日の祝日である。夏の最後の3連休で観光地にとっては最後の稼ぎ時である。


今日は2回散歩に出たが、1日中子供達がワイワイと道路で野球もどきをやっている。年齢は5歳ぐらいから12歳ぐらい。こういう集団はもしかしたら日本ではもうあまり見られないかもしれない。当地ではLabor Dayの翌日は職員、スタッフの初日で、学校は水曜日からである。今日は夏休みの最終日なのだ。


「あれ?」
どの子もスニーカーがピカピカである。すんなりと伸びたスネの下に、ちょっと大きすぎるような靴が目立つ。学校が始まるからお母さんと買い物に行ったのだろう。新しいスニーカーに子供達の夏を惜しむ気持と、緊張と、新しい始まりを感じてならなかった。


先日、夫の学科の秘書から「まゆみに上げるものがあるから」という電話を貰った。夫は今年の春までリベラルアートの大学の歴史学科の学科長を勤めていたが、今年の秋から1年間研究休暇。秘書は夫の片腕として昨年1年間雑務をこなした人だ。多分個人的なプレゼントだろうと思い、軽い気持で今日夫と彼女のオフィスに行った。


頂いた物は淡いブルーのバスローブ。入院中に必要だろうからという思いやりである。そして、なんと学科全体からのプレゼントだった。学科の教授の一部は夏休みの間、夕食を届けてくれた上にである。何故みんなこんなに親切なのだろう、単に1スタッフの妻なのに。何故という言葉は絶対適切ではないのだけれど、気持の表し様がない。


夫の大学は新学期が始まりワサワサしている。教授も学生もスタッフも忙しい時期なので、ドアをたたいて皆にお礼を言うのは控えた。たまたま廊下で出会った人とは話をする。


術後は物がちゃんと食べられない、一生胃液の逆流に悩まされるし下痢もある、一生枕3つを使わなければならないと、術後のQOLが良くないことをあんなに嘆いていたのに、「もう術後の生活が今までと同じじゃないことについては諦めた。ハンディキャップになるのはしかたないけど、頑張るからね」と喋っている自分にびっくりした。


御目出度い私はプレゼントで心が動いて舞い上がっているのだろうか。そうじゃない。ここ2、3日で変化を受入れる気持が少しずつできていたようだ。


ここのところコーチゾン注射(痛み止め)を4本打って最後の試合に出たアガシや、冷静沈着に5連勝を果たしたタイガーウッズなどに何故か関心が行く。多分無意識に、彼らの「苦しんで鍛えて、成果を出す」体育会系の頑固さと根性をを見習わなければと思っているのだろう。