「父の日」の今日は日本ほど蒸さないとは言え、気温27度の暑い日だった。


退院して二日目になると色々なことがルーチン化する。夜中に目覚ましをかけて鎮静剤を飲むこと。夜中にJ−チューブで栄養をポンプ注入しているのだが、8時間後の朝にはポンプをとめて、チューブに(つまりお腹に)水を入れて蓋をしてしまうこと。体温と体重を測り記入すること。朝御飯を食べた後散歩をすること。。。などなど。


今日は散歩の距離も2倍に伸ばし、汗ばむような初夏の陽気の中を夫とドライブし、八百屋さんでお野菜を一杯仕入れてとかなり充実していた。私が平気な顔をしているからか、家族もかなり普通に振る舞うようになる。


2週間前までの私は、『お客さん歓迎型母さん』だった。息子達が大学に行っている間は寮生活なので、夫と2人のシンプルな生活になるのだが、息子達が帰って来ると友達も毎日やって来るようになる。「来るもの拒まず」でガールフレンドが来ようが、友達が3,4人束になって来ようが、豪華な食卓であろうが貧しかろうが皆で一緒に食事をする。ここ数年来、我が家はいつの間にか学食や自炊の単調な食事に飽き飽きしている子供達のたまり場になっていた。


今日は長男と一緒にヨーロッパ旅行に行った友達が午後になってどやどやと押し寄せた。みんな勝手に上がり込んで息子と一緒に冷蔵庫を物色してオードブルを作っている。適当に食べた後は地下に降りて皆で映画を見始めた。


今日みたいに暑い日は地下室がひんやりとして最高である。朝から昼にかけて結構無理をしたので午後は地下でのんびり過ごそうと思っていたのに、22歳のむさ苦しい男どもに場所をとられてしまった。彼らは映画を観ながらあいも変わらぬ馬鹿笑いをしている。


そのうち5時になった。馬鹿笑いは続く。さらに、どうやら長男のガールフレンドも次男のガールフレンドも食客になる予定のようである。


「誰が料理するんだろう?私?長男は私に起こった変化を自覚しているのだろうか?」
我が家の息子達は料理の1品1品はどうにか作れるけれど、「食卓を造る」コーディネーションはできない。夫は夫で葡萄棚に紐をかけていて、食事の準備のことなど忘れているようだ。


私のメルトダウンはいつも夕方やってくる。これまで、食卓の創出は私の係だったから皆が意識しないのが当然なのだが、突然皆に腹が立ち、悲しくて悲しくて仕方がなくなった。実は退院した日の夕方も一人分のサラダしか作らない次男や、夜7時になってから調理に4時間かかる一品を作り始めた長男に対して、思いっきり切れたのだった。


まず夫に文句をいい、子供達を招集し、泣きながら「食事は自然にできると思ってるの?私に何が起こったかわかってるの?」と抗議した。息子たちからも夫からも「お母さんの心が読める筈はないから、ちゃんとやって欲しいことを言えばいいんだよ」と言われた。長男は友達に(何と説明したのかは分らないけれど)帰ってもらい、その後はガールフレンドと男3人で手分けをして食事を作る事になった。


4人で手分けすると事は早い。私の指揮の下、あっと言う間にサラダからデザートまでのコースが出来上がり、長男はイタリアで感激したスパゲッティカルボナーラまで試作し、次男のガールフレンドが到着した時にはテーブルのセッティングまでできていた。皆で手分けした調理プロセスもそれなりに楽しいものだった。


これがルーチン化すれば夫や息子たちにとってはクッキングのすばらしい学習の時間になるに違いない。しかし、掃除にしろ洗濯にしろ、今の状態が「日常化」するまでは私のメルトダウンも繰り返されそうである。


今日は27回目の(米国での)結婚記念日だった。