去年は癌を罹患するというアキシデントのおかげでブログの世界を発見した。


縁戚数人が既に「はてな」のブログを付けていたので、ブログを始めると同時に彼らのページ、彼らのブログに書き込みをする人のページも定期的に読むようになった。


私自身は闘病で、ブログを書くことが精一杯の日々も多かった。しかし、ブログを継続できる人って、皆何故こんなに色々なことが24時間のうちにできるのだろう。彼らの活発な生活の記録を読んで溜め息をつきながらエネルギーをもらっている。


今日は元旦。幸運なことに身体も回復してきたので、これからの復帰に向けて何をすべきかちょっとだけ考えてみた。もともと不器用でオーガニゼーションが苦手な上に、まだ体力が今一なので沢山のことを一度にはできない。


例えばブログを書く時間。私の場合1日分書くだけでも結構時間がかかる。通訳の仕事にもどるにしても、本格的な復帰の前にちょっと自主トレをしたい。新しいこととしては、水彩画は始めたいし、健康のために太極拳も試みてみたい。できれば食事は自分でつくりたい。本や新聞を読む時間も確保したい。運動をする時間は削れないし。。。


去年の「生きる」ことだけに集中していた「澄んだ」ピュアな気持がちょっと懐かしくなるぐらいに混乱している。


さて、「これから」を考えると心は焦るくせに、日本語の本が転がっていると「今日までは病人でいていいよね」と本能のままに読んでしまう。


「風が強く吹いている」(三浦しをん)は私の知らない箱根駅伝の話。テレビ中継が始まったのが1987年だから当然だ。そのころ私は当然米国にいて、子育てをしながら仕事をし、学校に通っていて、日本語が出てこなくなるぐらいに日本から離れていた。そんな私でも夢中になって読める。


でも、読みながら「これは漫画ののりの話だ」と思った。真面目な話が2、3ページ続くと必ず登場人物のドジ話が出て来て息がつけるようになっている。それが今の日本の『話のリズム』なのだろうか。根本的には「巨人の星」的なスポーツ感動劇なのに、主人公の『走』はキムタクで『ハイジ』は中居君で、と登場人物を適当に当てはめていくと(もちろんスマスマでは歳をとりすぎているけれど)、目の前に生き生きとしたテレビ連続ドラマが展開する。やっぱり新潮社みたいな大手から出版するためにはこんな筆力が必要なんだと当たり前のことに感心する。


「夜市」(恒川光太郎)は、東野物語みたいな懐かしさのある完成度の高いホラーの短編だった。こんなに綺麗にまとまったものは私には絶対書けない(一度もフィクションを書いたこともないけれど。)


単なるブログとは言っても、『書く』行為を続けて来たからだろうか。本を読むと文体や、話の運びや、比喩が気になる。「うまい!」と思ったり「ずるい、常套手段をつかったな」とつぶやいたり。。。