そろそろ癌ネタを卒業したいなと思っているんだけど、やっぱり事件が起こる。


土曜日から火曜日までメーンに行った。木曜日の食道の拡張で飲み込みがかなり楽になったし、なぜか咳もかなり静まってきた。まだまだ100%にはほど遠いけれど「病気であること」を忘れる瞬間も多くなって来た。『病は気から』、出来るだけ活発に時間を過ごそう。。。


温暖化のせいかもしれないけれど、メーンは暖かかった。地面には2、3日前に降った雪が残っているのだが、風がない。


日曜日、夫と散歩に出た。私達の小屋のあるOrr’s Islandの住民の半分は別荘住民である。冬になると人口が半分になってますます鄙びた味わいが増して来る。ちょっと冷たい冬の空気の中、雨戸の閉まった別荘とクリスマスの飾りのある普通の家が静かに混在していて、映画の1シーンの中を歩いているみたいな気持になる。道で行き会う人は「ハ〜イ」と言ってくれるし、向こうから来る車に乗っている人は必ず手を振ってくれる。今頃道を歩いている人は島の住民だと思い込んでいるのだ。


夫と私は「ジャイアントステアーズ用駐車場」と書いてある看板を見付けた。今まで通ったことのない小道は半分溶けた雪のせいで黒く濡れている。その湿り気も何だか気持がいい。そのうち大西洋の外海に面した岩瀬に出た。


きらきら光る雲母を沢山含む花崗岩が荒々しい外海の波のせいで深く幾重にも刻まれていて、ちょうど宮崎の「鬼の洗濯岩」を縦にしたような深い階段を作っている。そしてそこに波が押し寄せては散って行く。悠久の昔から変わらぬ自然の営みだ。波の音を聞きながら岩場を見渡すと、鴨が1羽岩の上に止まっている。


岩の割れ目に足をとられないように、すべらないように、まるで子供に帰ったように歩く。『癌』だとか『手術』だとか、過去6ヶ月間に起こったことがまるで夢だったような気がしてきた。「生命は海から起こったんだ、私は海の一部なんだ。。。」何だか嬉しくてずんずん歩く。


「もうかなり歩いたんじゃない?」と夫に言われて気付いた時はすでに2.5キロを歩いていた。車まではかなり距離があるので夫に取りに行ってもらった。


車に乗り込むと同時にクッキーを1枚口に放り込む。手術直前にはぴったりだったGAPのパンツがすっかりゆるゆるになっている。2.5キロも歩いたから早くカロリーを充填しなきゃ増々やせちゃう。。。木曜日の食道の拡張のせいで、結構普通に食べても喉につまらない。「わ!私本当に普通になりつつある、嬉しいな!」もう一枚、もう一枚と食べ続けた。


ところが、家に到着して5分もしないうちに腸が捻れるように痛み出した。ひどいダンピング症候群だ。前屈みになってもだめ、椅子に背をもたせかけても駄目。余りに痛くて身体を横にもできない。「あ〜、いたい!神様どうかして、陣痛よりひどい」、こんなことを言うと夫を心配させるばかりなのは分かっているのだが、英語で日本語でとにかく悪態をつきまくる。


吐いたら楽になるかもしれない。胃と食道の間の弁が亡くなってしまった私には吐くことは生物的には無理なのだけど、気休めに頑張ってみる。胃じゃなくなった胃からほんのちょっとだけの胃液と水が出て来た。


「きゃ〜、血が出て来た。拡張って言っても手術だから、メーンなんかに来るべきじゃなかったんだわ。術後の出血に気をつけるようにって言われたのに」、動転しきっている。「落ち着けよ。鼻血だよ。左の鼻からでてる」と夫。こうなると殆どコメディである。


気持だけでも吐いたのが良かったのか、夫に背中をさすってもらいながらやっと眠りにおちることができた。


目が覚めたのはおよを3時間ぐらいしてからだった。夫は長椅子の上で疲労困憊して寝ていた。私が痛がっている間、とっても冷静にかかりつけの腫瘍内科に電話したり、メーンの救急病院に電話たりしてくれたのだ。当然である。


目が覚めた時には腸の痛みは殆どなくなっていた。「よっこいしょ」、ベッドから起き上がってお鍋につくりおいていたスープを温める。全然お腹は空いてないし、またダンピングが起きるかもしれない。でも食べないと体力がなくなる。義務感だけでカップ一杯ゆっくり飲んだ。


1人でわびしくをスープを飲みながら、芥川(だったと思う)の書いた天国と地獄の寓話を思い出していた。


天国と地獄は一見同じ。どっちの世界でもテーブルの上にはとっても美味しそうな食べ物が並んでいる。地獄に落ちた人々はなが〜い箸を与えられている。箸が長すぎて食べ物を自分の口にもって行けない。美味しい食べ物を目前に人々はやせ細って苦しんでいる。さて、天国の住人達もなが〜い箸を与えられている。でも彼らはその箸を使ってテーブルの向こう側に座っている人の口にご馳走を入れてあげる。彼らはふっくら太り幸せに時を過ごしている。


寓話だとすると教訓があるわけだ。一体私はこの話のどこにいるのだろう?


今までは狭窄のせいで、本当にゆっくりとしか食べられなかった。しかし、そのお蔭でひどいダンピング症候群は免れていた。今はかなりノーマルに食べられるようになったけれど、用心しないとダンピングになってしまう。


どうやら体重を急激に増加させるのは不可能なようだ。しばらくは今の体重に甘んじて、ゆっくりとバランスの取れた食べ物を少しずつ食べるしかないようだ。自分の限界を知ることが天国への扉を開く。。