米国のテレビネットワークでは9月に新番組を繰り出す。


全くテレビを見ないと言ってもいい私が今年は「Vanished」と言うフォックステレビの秋の新番組にはまってしまった。荒唐無稽のミステリーで毎週話のアングルが違う。プロジューサーの方で『ダビンチコード』系の話にするか『CSI』 系の話にするか戸惑っているようだった。何故そんなドラマに夢中になったのだろう?


夏場は抗がん剤治療がきつくて寝室でテレビをつけたまま休んでいたからかもしれないし、メーンにある古くて小さいテレビにはフォックス局しか映らないので、たまたま2週間続けてみた番組だったからかもしれない。


9月26日火曜日の手術が近づくにつれて、入院している間「Vanished」を見落とすかもしれないことが大きな懸念材料になった。25日の夜は翌日の手術に備えて下剤をかけたり、特別の滅菌石けんでシャワーを浴びたりとかなり忙しかったのだが、まるでテレビの見納めみたいにしっかり見た。話はますますとりとめもなく広がって行くようだった。


26日に手術が終わった後、3日間のICU, 2日間のintermediate care unitを経て、次の月曜日が巡って来た時は2人部屋の一般室に移される日になっていた。2人部屋ではあったけれど、テレビは1台ずつそれぞれに設置されていて「しめた!」と思い、さっそくフォックス局が何チャンネルかを確認した。


その夜8時頃に長男がガールフレンドとわざわざ見舞いに来てくれた。それなのに「vanished」を見なきゃという強迫観念を持っている私は8時45分頃には「疲れてるしテレビを見なきゃいけないから9時には帰ってね」と図々しく言ってのけた!息子は「いや〜、ICUの時と比べると凄く元気になってて安心したよ」と言って帰って行った(今考えるとホント悪かったと思う。)


その夜、私はその番組を本当に真剣に見た。そして見ている間中「ほら、ちゃんと見てる」と自己確認しながら妙に感動していた。だけどその日ストーリーの展開はますます妙だった。これまで主役だと思われていたキャラクターが死んでしまった上に、 暴力的で血も一杯。普通だったら絶対に見ないような話だった。


その上、その日は午後に硬膜外麻酔が外され、麻薬系の鎮静剤を入れ始めた第一夜だった。麻薬のせいで頭が少しラリっているのか、画面を見ていても意識がフラッとどこかへ行ってしまう。新しいキャラが登場したのか、昔のキャラが再登場したのかよく分らなくなる(金髪の男優が2人表れると誰が誰だか分らなくなる私の母と同じ状態である。)画面はしっかり見たけれど、話は半分も理解できていなかった。


退院した10月は野球のワ−ルドシリーズの季節。フォックス局はシリーズを3週間独占放送するので、次の3週間ドラマ放映はなかった。田口在籍のカーディナルスがワールドチャンピオンになり、待ちに待った4週間目が来たのだが、番組は月曜から金曜に移されていた!


なんだかストーリーの枠付けがしっかりしていないなと思ったのは私だけではなかったのだろう。視聴率も悪かったのだろうか。いずれにせよ番組にとっては金曜の8時から9時の時間帯にうつされるのは死刑宣告を受けたようなものである。金曜日の夜って若い恋人達にはデートの時間だし、行事も沢山盛り込まれる。テレビの番組を頑張ってみる人なんて殆どいない。


病気になって以来、社交生活なんてなくなった私でさえも、金曜の夜はなかなか家にいることがない。バーバードでの夕食会も金曜日だったし、クリスマスビッグバンドコンサートも金曜日だった。御友達が夕食に呼んでくれるのも金曜日だ。


という訳で、実は退院以来「Vanished」はまだ一度しか見ていない。そして、不思議とそれで全然大丈夫なのだ。


術後2ヶ月が過ぎた今、私はテレビへの関心をまたもや失いつつある。私のテレビへの関心の薄さは「24」という米国のテレビ番組があることを日本にいる友達から知ったぐらいひどいのだ。テレビの番組にはまるという事自体が闘病下の異常事態だった。


しかし、術前、術後の「Vanished」に対する執着は何だったのだろう。毎週月曜日の8時に始まる番組を入院中も漏らさず見るという時間軸にだけ沿った行動は、手術をサバイブした、まだ生きているという確認行為だったのかもしれない。「継続している」生命のシンボルだったのかもしれないと今思う。


最近は「Vanished」のことを考えることもなくなった。まだ金曜日に放映されているのか、視聴率で切られてしまったのかさえもチェックしていない。