昨日はくだらないことで切れた。


米国医療のいいところは徹底的な看護をした後は患者を早く退院させるところ。そのお蔭で患者は早い時点で「平常心」に戻れるし、依存心も薄れる。しかし、家族のサポートがなかったり、自己管理に必要な情報処理能力がないとかなりつらい。今日現在で術後45日、日本で治療を受けていたらやっと退院の時期である。


毎日が食べることの訓練で過ぎて行くことは前にも何回も述べた。実はそれに加えて大変なのは、その食事を調理することである。日本だったらゴロゴロして病院食を食べてる時期に自分の食事を作らなければならないわけだ。あんまり広くないレパートリーの中から今の自分にも無理なく食べられて、タンパク質も野菜も沢山入っている物を考える。今結構重宝しているのが豚汁。お味噌、豚肉(3枚肉なんて売ってないからミンチ)、揚げ豆腐、野菜。。。タンパク質満載なのに汁物だから食べやすい。


火曜の夕方背中の痛みをこらえながら1時間ばかりかけて、牛蒡をささがきにし、大根、人参をみじん切りにして丁寧に作った(昔は包丁でトントンと野菜を刻むのが好きだったのでスライサーもフードプロセッサーも持っていないので時間が掛かる。)予定では、翌日の夕飯ぐらいまで保つ筈だった。


ところが、帰宅した息子が夕食、夜食と食べ続け、その夜のうちに鍋一杯の豚汁を空っぽにしてしまったのである。「え〜〜、別の鍋にお魚のスープが作ってあったじゃない。あれ貴方のためのとっといたのよ」と声も顔もひきつる。「知らなかったんだから、落ち着いて」と目配せする夫に負けて、その夜はあまり騒がなかった。


ところが翌日お昼に食べるものがない。仕方がないから豆腐と卵のふわふわを作って、冷凍の蟹シュウマイでしのいだ。夕食は義理の妹の調達してくれた夕食デリバリーサービス。エビと牛肉、パイナップルのシシカバブにライス、固い皮の豆のスープ。。。食べるられるものが何もない!パクパクと無神経に食べる息子と旦那を横目に、仕方がないからお昼の残りを温めてみたけれど当然美味しくない。突然うっ、うっと堪えられなくなって大泣きしてしまった。食べ物の恨みは怖い!


問題を起こした張本人でありながら、ノー天気で無神経な息子はとっくの昔に自分の部屋に籠ってしまっている。残された夫は「何か買って来ようか」とか「何か作ろうか」と言ってくれるのだが、もう夜の8時。「貴方は何もつくれないじゃない」とむせび泣きながら、じゃけんに言ってすっかり傷つけてしまった。たぶん食べることの恨みに加えて、いつも明るく積極的に振る舞うことに疲れているのだと思う。胃がなくなってしまったからお腹はすかないから食べなくても平気である。昨夜はそのまま泣き寝入りしてしまった。


長期戦に弱い私はこの単調な回復期に辟易している。特に最近は頑張って食べているつもりでも体重が減少気味だ(一種のスランプである)し、懸念事項もある。食道との縫合部分がうまく行っていないと食べ物や液体が呼吸器系に漏れている恐れがあるのだ。2日前にはお魚を食道のつながっている部分につまらせて大変な目にあった上に、術後の咳が止まらないし、背中が痛い。腫瘍内科医に診てもらったところ、「まさか漏れていないとは思うけど」一応チェックということで来週の月曜にもう一度バリウムを飲んで検査をするし、呼吸器系の専門医も尋ねる。単なる狭窄であれば、食道を広げればいいだけの話なのだが。。


2、3日前に4年ほど前に胃を3/4とった方からメールをいただいた。


『ともかく、体力、自己抵抗力をつけること、それが一番大事。
そのためにも、最大の克服事業は、食事をやっつけること。
ある時期から、改善のカーブを感じられない平坦な状況
のなかで、来る日も来る日も食事と悪戦苦闘する・・・
そのときが精神的、肉体的に一番難関なのかもしれません。
仮屋さんは丁度そんな時にさしかかってきたのかもしれ
ませんね。でも、持ち前の明るい心持に無理にでも設定して
その試練に向かっていることに優越感を持って、やり過ごしてください。』


やはり同じ苦しみを味わった方からの言葉には一番勇気づけられる。