術後3晩を最新施設のICUユニットですごした。看護婦さんたちの顔、筆談したこと、尋ねて来てくれた人のことなど全て覚えているのだが、ICUユニットがどんな場所であったかについては全く記憶がない。


「ねね、やっぱり色んな機械やモニターが装備された超近代的な部屋だったの」と今日も夫や息子に尋ねた。どうやら設備の整った素晴らしい部屋だったらしい。


ところが、これを臨死体験というのだろうか。私の心の覚えているICUの部屋は、大きな木枠の古びた鏡のある床屋さんみたいな何となく懐かしい匂いのする所なのだ。その鏡を前に、私は歯医者さんのところにあるような椅子に横になっている。そしてずっとその鏡に映る自分を観察しているのだ。魂が体外に出ていて自分を見つめていたのだろうか。


そういう非常に朦朧とした状態でありながら、呼吸器のチューブが入っている自分を意識して「あ〜〜、これはあのブログにあったのと同じ状態だ。今は筆談しなきゃ」とか、遅々として時計の秒針が進まないと「あ、この苦しい状態についても誰かが書いてたな。しかたない、皆が通る道だ、頑張らなきゃ」とか妙に醒めている部分もあった。そして面白いことに、その古くさいイメージを現実と信じて、BWHなのにICUは結構古くさくてマニュアルなんだなどと感じたりしていた。不思議なものだ。