9月26日の手術に関しては大分肝が座ってきたのだが、「手術のためのイメージトレーニング」のテープを注文するかどうか迷っていた。来るべきイベントに備えて万全を期したいと思う反面、嘘っぽいイメージトレーニングもなぁ〜と躊躇していたのだが、素晴らしい宝物を持っていたことを思い出した。


金曜日に一週間後にベトナムに発ち、ベトコン兵として闘ったベトナムの女性達のドキュメンタリーフィルムを仕上げに行く友人夫婦(行くのは奥さん)と食事をした。彼女たちとベトナム料理のフォーを食べながら、私には素晴らしいイメージがあることを思い出したのだ。


夫の同僚のこの女性は女性ベトコン兵の戦中、戦後の苦労を数年前に著し、このフィルムはその延長で作られている。出版に際し、彼女はその著書の中心人物であるベトナム女性を米国に招き、女性の立場から見たベトナム戦争という見地で講演会を様々な所で催した。もちろん私も参加し、生意気に質問をしたりした。


さらに、友人は私達夫婦を自宅に招き、この静かで美しい女性と親密に話す機会を作ってくれた。自分自身の思い出があるわけではないのだが、日本人としての焦土の記憶があるのだろうか。私には、自分の家が家族が目の前で破壊されて行く環境の中で、「やむなく、しかし確固として闘った」彼女の哀しい気持が痛いほど分った。この感情は一方通行ではなかったようで、ここ数年私達は友人を通してお互いの消息を通わせていた。


友人は今回も彼女と会うと言う。彼女へのプレゼントのためにディエゴ・リベラ(http://www.fbuch.com/rivera.htm)の絵を絵葉書にした冊子を包みながら、ふと気付くと「やむなく、しかし確固として闘った兵士たち」と繰り返し繰り返しつぶやいている。

そうだ、これだ!


手術に際しては、彼女の美しい顔と、それに似合わない(当時の肉体労働できたえられたのであろう)太い二の腕を, ガンジーと共に思い浮かべようと思う。

*写真は家の庭に出現したきのこ