ちょっと元気になると散らかっている家が気になる。皿洗い機に入らない鍋類は汚れたままコンロの上に載ったっきりだし、お茶の箱は何種類もカウンターに出たままだし、トイレには新聞や本が山積しているし、冷蔵庫の中では野菜が腐っている。。。


御友達は「クリーニングレイディ」を雇いなさいよと言う。しかし、今我が家の状態はそれ以前。物をあるべきところに戻さなければ、レイディ達は掃除機もかけられない。だんだん腹がたってきて声が尖って来る。そんな時、教会からのニュースレターに掲げられているアインシュタインの言葉が目に入って来た。


「もしぐちゃぐちゃに散らかった机が、ぐちゃぐちゃに混乱した心を表しているとしたら、何も載っていないきれいな机は何を意味するんだ?」(If a cluttered desk is a sign of a cluttered mind, of what then, is an empty desk?)


さすが、アインシュタイン我が家の味方だ。


ペニシリンを発見したアレキサンダー・フレミングの研究室は常にごちゃごちゃと散らかっていたそうだ。1928年、長期休暇から帰って来た彼を出迎えたのは、カビで汚染されたシャーレの培地だった。それを滅菌するために片付けている最中、シャーレのカビの周りの葡萄糖菌が破壊されているのを発見した。青カビの発見である。ペニシリンの大量生産には別の科学者の活動が必要であったのだが、カオスと偶然がペニシリンの発見のもとになった。


もし彼の実験室がきれいに整頓され、秩序だったものであれば青カビが発生する前に全てのシャーレは滅菌されていた筈である。


この話の教訓は「偉大な発見のためには整理整頓をしてはいけない」というのではないと思う。多分その1つは、世界はカオスそのもので、例えば二分律(正義/悪)みたいなものでコントロールは絶対できない、未知の中で目をこらして可能性を発見して行かなければならないみたいなものじゃないだろうか。


昨日は9.11同時多発テロの5周年だったのだけれども、意図的にニュースを聞かなかった。ブッシュ大統領のスピーチは必ず「我々対やつら」の二分律だ。あの哀しい出来事が政治的ツールとして使われて、憎悪や恐怖ばかりが増大している。


1年半前、広島のヒバクシャの方々がハーバード大学で講演をした際に、通訳としてお手伝いをした。彼らは「私達が
Remember HiroshimaではなくNo More Hiroshimaという言葉を選んだことには深い意味があります。Rememberという言葉を使うとまた憎悪や暴力が出て来る。そうではなくて、これは絶対に2度と起こしてはならない人類の課題なのです」みたいなことを言われた。もし5年前、No more 9.11という言葉が選ばれていたら、そういう考え方があったら、世界がもう少し一丸になれたかも、と思っても仕方のないことなのだけれども。。。


さて、私は単純だから、アインシュタインの言葉でちょっと癒されてヒステリックになる一歩手前で立ち止まれた。今日もウチの整理はさておいて、散歩に出掛ける所存である。(しかし、よく考えて見るとだよ、キチンと整頓された部屋は、やっぱりキチンと整頓された心を表すんんだよね、カラッボじゃないんだから。)