中学校1年生の夏休みに交通事故に遭った。夕方薄暗くなってからのお使いの帰りで、旧谷山電停の前の交差点(ローカルで済みません)で信号が青に変わった瞬間に走り出た。ところが黄色信号ぎりぎりで走り込んで来た車にぶつかり、11メートル飛ばされた。目撃者の話によると、ぶつかった瞬間私は身体をボールのように丸めたのだそうだ。そのせいか、大腿部の打撲と顔や肩のかすり傷だけで助かった。


米国だったら翌日退院ぐらいの傷だったのだが、日本の病院の常で3週間入院した。病院食をバクパク食べて、ごろごろ寝る。それまではガリガリに痩せてごぼうのような足をしていたのに、ふっくらとなって退院した。夏の終わりに、お気に入りのクリーム色のショートパンツが入らなくなってショックだったのを覚えている。


入院中の一番の思い出は泊まり込みで来てくれた母のことである。ある夜、彼女は私と同じベッドに横になって「隅田川」や「荒城の月」を私と合唱した。私が低音部を母は高音部を唄った。いつまでも少女のようなところのあった母の「いかにも母らしい」思い出である。


「母だった」という過去形を使ったけれど、母はまだ存命している。3年前ぐらいから軽度のアルツハイマーにかかり、会話がとんちんかんなものになった。


3、4年前のお正月の頃だったかと思う。何となく母の様子が変だということで、親戚が批判を始めた。「もっと積極的に行動をしないから惚けてくるんだ。運動を全然しないでしょう。私はこうしてる。僕はこうしてる。だから大丈夫なんだ」等々。私に「親を叱咤激励しなさい」のような手紙をくれた親戚もいた。皆親切で言うのかもしれないけれど、批判は父にまでおよび非常に醜いものになった。酒の席での無礼講が赦される日本の文化が嫌になる瞬間である。


そんな親戚一同に私は手紙を書いた。「人間は様々な病気にかかります。癌にかかる人もいるでしょう。糖尿にかかる人も。また心臓発作を起こす人もいます。母の症状は抗しようのない病気なのです。一番辛いのは母自身かもしれません。分って下さい」と。以来少なくとも私の前で両親を批判をする親戚はいなくなった。


その手紙を書いた時、「年老いて病気になるのなら、他人にも分りやすい癌のような病気になった方がいいな」と思った。そして以来、自分もアルツハイマーになるかもしれないという不安がつきまとっている。


癌にかかったというニュースを聞いた時に『怒り』ではなく『そうか、私にはこの形で来たのか』と静かに感じたのは上のような背景がある。そして今回の癌の治療中も『もし癌が治っても、最終的にアルツハイマーにかかるんなら、生きてる価値があるのだろうか』という、どす黒いネガティブな猜疑が心の底に潜んでいた。


交通事故に遭った時の母との交流を思い出しながら、このネガティブな気持に思いが移った。そして、このまま開腹の大手術に臨んだらヤバイと思った。


さて、ここ、2、3日、Rachel Remenの著書『My Grandfather’s blessing』を読んでいて、今朝読み終わった。その最後の章に次のような話がある。


旧約聖書の中の「脱エジプト記」(Exodus)はとても有名な話である。エジプトで奴隷になっていたユダヤ人をモーゼが率いてサイナイの砂漠に導びき解放した。(日本ではチャールストン・ヘストンの映画「10戒」と言った方が通りがいいかもしれない。)ユダヤ人は今でも毎年『セーダ』という特別な晩餐の催しをしてこの歴史を祝う。


さて、その話の中で、ユダヤ人たちはこれまでの奴隷生活からの解放が約束されているのに解放リーダーのモーゼに抵抗した。なぜだろう?


ユダヤ教の司教だったRachelのお祖父さんは7歳の孫にこう説明する。


「彼らは苦しみ方のプロだったのさ。これまで長い間奴隷をやってきて慣れてたんだ。でも自由になる方法は知らなかったんだよ。」


そして、大人になったRachelはこう思う。


「私達は自分の心の内部の奴隷制に捕らわれている。私たちは欲望や無知のせいで、自分には価値がないと思い込んだり自信を欠如したりしている。自分は犠牲者なんだとか、しかじかの権利があるんだとかいう概念の奴隷になっている。脱エジプト記は変化に対する恐怖の話だ。自分を解放して未知のものに対応することと、卑小で実は自分を傷つけるような場所や行動に居心地がいいからとしがみつくことについての話だ」


お祖父さんはRachelにこう言ったそうだ。


「奴隷か自由かの選択ではないんだよ。私たちは常に奴隷か未知かの選択をしなければならない」


何かがストンと墜ちた。


私は今まで自分の価値を「結構理解力があって、適切な判断ができる」ところに置いていたように思う(家族の者や周りの人は「え、うっそ〜〜。全然理解力ないじゃん」というかもしれないけれど、自分ではそう思っていた。)皆にもそう思ってもらいたかったから、一生懸命努力もしてきた。だから「もしかしたらアルツハイマーに罹るかもしれない、惚けてしまうかもしれない」未来は怖いものだった。


去年の秋のカンフェレンスで、通訳の1人が同僚の通訳の話をした。「若くて能力のあるままでいたいから、私は60歳になったら自殺する」と言っているのだそうだ。私はその有能で有名な通訳のような能力は全くないけれど、50歩100歩で似たような考え方をしていたのかもしれないし、そういう文化の中に棲んでいた。


でもそれは私にとって単に住み慣れた高慢な概念なのだ。人間の命の尊厳なんてそれよりずっと深く不思議に満ちたものであるに違いない。これから先何があるかなんて全く未知だ。


手術に向かって思いっきり前向きに恢復しよう。そして命が繰り広げてくれる様々な不可思議を楽しもうと思った。


今年の正月に梵語では人生のことを「無量寿」というのだと、父が教えてくれた。変化や老いや既成の概念を恐れず、素直に命に向かえば、人の生涯は無限の寿、喜びに満ちているという意味だと思う。


あ、そうだ、忘れてた。ペットスキャンによると癌は全て消滅。2ヶ月間の苦しみには十分意味がありました。これからは手術に備えて一生懸命歩いて心臓を鍛え直さなければなりません。