6/31/06


今日はメーンの小屋よりこのブログを書いている。


昨日は放射線治療の第一日目。放射線治療がきつくなるのは1〜2週間後と予測していた通り、これは本当に何ともなかった。10〜12分確定された場所に動かずに寝ていると3方向から放射線が照射される。それだけである。


昨夜ほとんど何も食べられなかったので、もう一度癌科クリニックに行く.鎮静剤入りの吐き止めの薬を半分にし、第一日目に効かなかった薬をもう一度飲むように言われた。「大酒飲みで煙草を飲む人達が絶えるプロトコールだから、君には大変だね。訓練ができてないから」と医者が冗談をいうので「酒飲みの練習は結構したつもりだったんですがね」と返す。医者は、ここまで吐き気がきついのは予測していなかったらしい。ジンジャーティー(ショウガ茶)はかなり吐き気を押さえてくれるので、ショウガのキャンディを買って、苦しくなった時にしゃぶることにした。


家にいても、どこにいても吐き気はする。しかし、Jチューブで補給される栄養のおかげで体力はあるので、夫と車を運転してメーンの小屋に出掛けることにした。メーンの家は小屋とは言っても芝生があるし低木がある。2、3週間に1度は行かないと草ボウボウになる。メンテナンスが大変なのだ。しかし、私はなによりもきれいな海をみて鳥のさえずりに耳をすましたかった。


7月4日の独立記念日の連休を控えていたので、ドライブには4時間かかったが、水とバニラアイスクリームとショウガキャンデーで吐き気をだます。夕食には、スパゲッティを食べた。今日はカリフォルニア巻きも少し齧ったし、アイスクリームも嘗めたし、かなり前進が見られた。



7/1/06


大汗かいて庭の芝刈りをしている夫をベランダから観ながらこのブログを書いている。化学治療は月曜日だったから、その毒性が弱っているのだろうか。それとも新しい吐き気止めが効いているのだろうか。食欲はないものの今朝は吐き気に悩むことはない。

このメーンの小屋は西向きの丘に建っていて小さな入り江に面している。夏至の太陽の夕日がちょうどベランダの目の前に沈む。昨夕の夕日も美しかったけれど、今朝の静寂な海も素晴らしかった。病気になって卑近な自分の苦しみだけに捕らわれている時、涼やかな風、太陽の日差し、風にそよぐ木の葉、鳥のさえずりは心を別のところに連れて行ってくれてその効果は素晴らしい。

さて、私の化学放射線治療も少しルーチン化してきた。月曜から金曜まで毎朝9時半に放射線治療を受ける。月曜日はその後4時間半化学治療を受ける。これまでの経験で行くと、月曜から水曜ぐらいまではかなり吐き気がある。放射線治療の弊害が出てくるのは1週間、10日ぐらいしてからだから、来週週末ぐらいが体調的には一番ましな時になるのかもしれない。


全てが上手く行くと化学放射線治療の終わりが8月8日で、BWHの外科医とのアポが8月28日に入っている。ここで再検査が行われて最終手術日程が決まる事になる。


今回の化学放射線治療で、全てが根絶されたように見えても手術は必ず行われる。BWHでは癌細胞の全てを身体から出してしまい再発を防ぐ方針だからだ。


夕方吐き気と闘いながら何となく弱気になっている時に友人のRから電話があった。Rはサンフランシスコに住んでいる精神分析家で、今年の2月に乳癌の診断を受け、現在化学治療中である。4月に闘病中の彼女を訪ねた時、私は自分の癌のことを知らなかったのだから皮肉な巡り合わせである。


彼女の乳癌の治療は私の場合と全く違い、まず切除だった。回復を待って3週間に1度の化学治療を6回くりかえし、その後放射線治療を集中して行う。今日の彼女の電話は空港からだった。4回目の化学治療が終わったのでクライエントを訪ねて今日コスタリカに発つという。


彼女の場合、吐き気はないけれど、何を食べても金属の味がするそうだ。できるだけ健康に気遣って食べ、自由時間を使ってコスタリカのレインフォレストをハイキングすると言っていた。(日本では考えられないことかもしれない。)


弱気になりそうになると、必ず元気の出る話をしてくれる友達から電話やメールが来る。ビタミン剤のような友達をもっている私はとてもラッキーだ。


今夜は冷やそう麺にショウガをたっぷり入れて食べた。今までで一番食べられたかもしれない。日本に居れば、美味しく食べられる物がもっと沢山あるんだろうと思う。