こちらにも書いたけれど、2月14日から27日までかなりの強行スケジュールで日本に帰省した。息子を連れての里帰りであったため2週間で東京/横浜、熱海、京都、奈良、広島、鹿児島をまわり、親戚、友人と時間を過ごした。


06年秋に食道摘出手術をしてから日本に帰国したのが仕事を含めて今回で5回目。術前と比較すると、体重も軽いし、体力も落ちている。そのため時差ぼけからの回復にずっと時間がかかるようになったし、旅行中に病気になったりするようになった。日本と米国との往復はヨーロッパや国内の旅行と較べると時差が大きいのが負荷で、かなり大変。


食道摘出をしてしまい、胃で食管を作ってしまうと、嚥下ができない。食べ物が腸に降りるためには重力だけが頼り。その上元々の胃は引き延ばされた袋みたいになって喉の下に存在し、そこに食べ物が一時的に溜まる。だから大食いはできないし、食べすぎると逆流も起こる。しかしその胃は胃としての機能はうしなってしまうからダンピングが起こる。問題なのはこの状態が一生続くことなのだ。


足や腕を失ったのなら、外見にも機能回復ができないのが明瞭。ところが食道を失った人の嚥下機能喪失は外には顕われない。術後1年ぐらいは「大変ね〜」と同情してもらえるし、頑張っていると「さすが○○さんね、凄いわよ」とそれなりに褒めてもらえる。ところが術後2年ぐらいになると「まだあの手術をひっぱってるの。甘えるんじゃないの!」と見られ出す(少なくともそう感じる。)


皆「直る。元に戻る」と思っているのだ。「もう直った?」の「もう」が重い。だって機能は絶対元に戻らないのだから。


しかし身体は不思議なものだ。直らないけれど適応していく。そしてその適応が確実に本物になっていくのが3年目を過ぎた頃なのかもしれない。


今回どこに行っても「去年と較べてお元気そうですね」「あ、それ、去年は食べられなかったのに食べてらっしゃいますね」と言われるし、奈良をご一緒した方からは「あの頃(3年前)は休まなきゃならなかったのに、すごいですね」と言われた。そうなのだ。去年は難しかった手打ちソバも、ラーメンさえも、食べられる。


元にもどっているのではないから、ラーメンやおソバは途中で何度か詰まり、その度にトイレに立つ。時には吐き出さなければならない時(汚い話でごめんなさい)だってある。でも食べられる。そして、そういう形での食生活を自分も納得しているから、喉に詰っても「こんなもんだ」と納得して狭窄を心配しない。ここに至るのに3年はかかった。


最近食道癌関係のブログやTWITTERを読むと、術後2年目ぐらいの女性の方が『世間の回復の期待』と『失った機能』とのギャップ、そして2次的な体力のなさ、ダンピングで悩んでいらっしゃる。その心理と苦しさがとても良くわかる。


まだ新しい身体との付き合い方を模索している時期だから、3年もするとずっと楽になるから、今はできるだけ自分の身体に優しくして頂きたいと思う。そしてその周りにいる方々には彼女、彼らの努力を認め、褒めてあげて頂きたい。

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今回は2月27日の深夜に帰宅した後、3月1日から薬事監査の仕事が入っていた。実は3年前同じ顧客と同じ仕事をした。その時は階段を登るのも、査察のためにラボを歩き回り、立ちっぱなしで説明の通訳をするのも泣きそうに辛かった。さらにお昼のメニューが全然食べられなくてスープを特注してもらった。『仕事に100%戻るのはまだまだ大変だ』と自覚した業務 だった。


今回はあの辛かった階段や精製室の全てが懐かしかった。3年前痛む身体で仕事をした自分を振り返り、頑張ったんだなぁとちょっぴり感動すると同時に、辛かった業務の一つ一つが回復のためのトレーニングになったのかもしれないとも思った。

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現在はid:kuwachann-2_0の日記にノー天気な記録を付けていますが、検診のような大きなイベントがあった時はこのブログもアップデートしています。

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