食べ物が喉に詰まる、吐いた、ダンピングだ...と騒ぎながらも順調に回復している私。でも冷や水を浴びたような覚醒を時々味合う。食道癌のサイトで知り合いになった方々、病院で知り合った人、『癌』にかかっているということで運命の絆みたなものを感じている人々。そんな方々から再発、転移、衰弱、死亡のニュースが入ってくるのだ。


そしてその悲しいくじに当たった人々のことに思いを馳せる度に「何故私は回復できたのだろう」と一抹の罪の意識のようなものを感じる。この気持をsurvivor's guilt(生存者の罪悪感)と呼ぶのだろう。


食道癌がきっかけでメールのやり取りをするようになった方の文に次のような一節があった。


「人生と一口で言っても、90年も生きる人もあれば生まれてすぐに閉じられる
ものもある。恵まれた一生の最後を穏やかに終わる人もあれば、辛いことが
幾たびも押し寄せてくる人もいる。つくづく不公平だと思います。でもそれこそ
が人生なのですものね。何億何十億と用意された人生というシナリオの1つを、
たまたま演じているのではないかという感覚を覚えるようになりました。」


私も本当にそう思う。でもその不公平なシナリオの中で目の前のことを正面から受け止めて片付けて行くのが(悲しいことであれ、嬉しいことであれ)生を受けたものの仕事のような気がする。


ベネズエブトー(朝日新聞ではブットと出ていた)が暗殺された。癌友達を失った時のような無力感と暗黒を感じている。