米国の夏はメモリアルデーウィークエンドの連休で始まり、レイバーデイウィークエンド(9月の最初の週末)の連休で終わる。今日は夏の始まり。


昨日は記録破りで31度まで気温が上がったのだが、今日は27度。湿度が落ちたので清々しい夏日だ。連休のお蔭で仕事も3日間お休みなので、帰国以来やっとほっとする時間を持てた。そこで日本に行った時御友達から頂いた新井満のCDブック「千の風になって」をひもといた。


私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています。。。


という詩なのだが、もともとは英語の詩の日本語訳。その詩だけを一冊のかわいい本にしたものでCDに加えて、詩の言葉にそって落ち葉や鳥の写真が出て来る。私はビジュアルに反応する人なので、唄や詩を聞きながら写真を広げてボロボロ泣いた。


実は去年癌が発見されたのが5月16日。ちょうど1年前の週末(id:kuwachann:20060529)、治療も病期も分らない時期に仲のいい友達とメーンに行った。それは所謂闘病の始まりであったのだが、同時に自分を自然の中のエレメントとして感じ始めた時期でもあった。身体の自由は効かなくなるのに、私を思ってくれる人々の心を感じ、鳥のさえずりの美しさに感動し、お日様や光や風に神々しいものが感じられるようになったのだ。まるで身体の具合とは正反対に心は自我の拘束を離れ、植物とも動物とも地球という共同体の中で生きていることを実感できたのだ。


この唄は「亡くなった人』の言葉として書かれているけれど、私もまるで『千の風』の千分の1のような気がしていた。だから別に死を怖いとも思わなかったし、治療に不安を感じなかったのかもしれない。


さて、当地に私より半年後に食道癌にかかった女性がいる。私のブログの英語版を全部印刷して自分の治療の参考にしてくれている人だ。スコットランドに行く前に会った時は「全く貴方と同じ治療をしてるの。髪が抜けて来たから剃っちゃった」とニコニコ笑いながらツルツルの頭をみせてくれ4月が全摘の手術になるだろうと言っていた。


今ごろ回復期かしら、と思い電話をかけた。


「元気?」
「あんまり元気じゃないの。抗がん剤治療の終わりの方で転移がみつかったの。急に腎臓が痛み出したのよ」
「治療成果確認のPETで分ったの?」
「PETにもでなかったの。だから3週間前に摘出手術の替わりに、検査手術をしたら腎臓に広がってたのよ。今は薬漬けで食欲もないし、腎臓炎にもなってるの。これからの抗がん剤はDana Farber (BWHとシナジーを保ちながら治療をしている癌センター)で行われるの」
「何て言ったらいいか分らない。なにか私にできることがあればっていいたいけど。。」
「私も『これをやって』って言えるといいと思うけど、今は何もないのよ。残念ね」
「ずっと貴方のことを祈ってるね」


私の場合は扁平上皮癌で放射線抗がん剤への反応のいいタイプだったけれど、彼女のは腺癌だったからだろうか。彼女の方が発見時の病期が進んでいたからだろうか。とても悲しい。今は回復を当たり前に感じている私だって、実はいつ床に落ちるか分らない綱渡りをここ1年続けて来た事をしみじみ自覚する。


重い気持を胸に抱きながら多年草のコーラルベルを庭先に植えた。当地のガーデニングクラブの人の庭に生えていたものの株分け?である。この地球に生かされている自分が命の再生に寄与できることはとても嬉しいし、奇跡だと思う。