米国のメモリアルデーを訳すと「戦没者記念日」になる。日本と違いお墓をお掃除したり花を手向けたりを余りしない米国人も、戦死で失った人の墓にはこの日リースや花束を飾る。


私の行っている教会のピースグループで『The Human Cost of War Honoring American and Iraqui War Dead 2003-2007](2003年から2007年まで戦争の犠牲になった米国人とイラク人を悼む)というセレモニーをやった。その主旨はこれまでに命を失った米兵3500人とイラク人3600人名前を読み上げて、名前の裏にある一人一人の命を尊重しようというものだ。


イラクの戦死者、犠牲者の数はここ4年で65000人から600000人と推定されているのだが、CIVIC(Campaign for Innocent Victims in Conflict)で名前の確認されている数は3600人に過ぎない。イラク側にはそのリストを使うことになった。


セレモニーのオープニングでは私の行っている教会の他、同じ市内のユダヤ教の祭司、イスラム教のリーダー、禅堂の先生(罹癌の前にはよく組みに行っていた)、宗教を横断するフォーラムなどのメンバーが集い、ヘブライ語アラビア語、英語に訳したお経で祈りをささげた。後は1人1人の名前をボランティア1人あたり50名ぐらいずつ丁寧に読んで行く(私はボランティアの1番手だった。)始まったのが午後12時半で私が失礼したのが6時半だったけれど、読み上げはまだ永々と続いていた。一口に7100人というけれど、名前だけ読んでもそれだけの時間がかかる。実はその紙のイラク人側に情報には年齢、職業、亡くなった理由(トラック爆弾とか空襲とか)まで書いてある。米国兵士にしても肩書きと19歳だったり56歳だったりの年齢が書かれている。それを全部読み上げてあげたい衝動にかられる。イラク側の2003年の死亡者の中には日本人の名前が2つあった。


イベントの最中に「千の風になって」の英語版を朗読してもらった。暴力的に失われてしまった命だけど、彼らの命も千の風になっていると信じたい。


さて、今日は次男の21歳の誕生日だった。丸一日ボランティアで外にでてしまったので、芸もなく昔家族で良く行っていたシーフードのレストランに連れて行った。夫と彼はギターの趣味が一致しているので、夫からのプレゼント(1年早い卒業プレゼント)はハンドメイドのアクースティックギターだった。日本に行く前に自分のギターの何本かを処理したお金を元手に、選びに選んだものだ。このぐらいの歳になると親子で趣味が同じなのはとっても便利だ。