(English version is on 4/4)


日曜日の夜にメーンから帰って来たばかりなのに、月曜には水彩画の先生Sと共にまたもやメーンに出掛けた。4月11日に日本に発つので、その前に彼女をメーンに案内したかったのだ。


春の天気は劇的に変わる。前日は殆ど雲がなかったのに、一日違いで重い灰色の雲が空を覆い、強い風の中を小雪が舞っている。昨日は眠そうにのたっていた海が今日は白い牙をむいて岩を襲っている。日の光をたっぷり浴びてきらきらと光っている優しい海もいいけれど、雄々しく猛々しい海もまたいい。強風の中小雪を肌に感じながら砕ける波を見ていると、そこに吸い込まれるような気がする。彼女と過ごしたメーンは冬に逆戻りしていた。


Sから水彩を習い始めた経緯はこうだ。私は10月に退院したその週に教会に行った。信心深いわけではないけれど、そこにはコミュニティーがあって友達がいる。また当時の私にとっては痛み止めを打ちながらでも外出することが大きなマイルストーンだった。まるで幼児の第一歩のように。


Sと話をしたのはその第一歩の日だった。これから暫くは生活のペースを変えなければならないこと、昔から絵を習いたかった事などを痛み止めの麻薬で朦朧とした頭で話した。すると「ここ数年はアーティスト業に専念することにしたから、1週間に1度家庭教師みたいに来てあげる」と夢みたいなことを言ってくれた。「え、ホント?」と私はパクリと食いついた。


そんな訳で1月から始めたレッスンだが、彼女は実験をすること、滲みを自分なりに解釈すること、つまり「水彩の醍醐味」を一緒に遊びながら教えてくれる。 昨夏1日だけでやめてしまったスキルだけを教える美術館の水彩画のレッスンとは大違いだ。


今アーティストとしての礎を築き上げつつあるSは2日の間に黙々と3枚もの絵を描いた。月曜の午後、火曜の早朝、そして昼間と。それは感性とスキルを研ぎすますルーティンだった。彼女の創作過程を見るのは始めてだったので非常に興味かった。


さて、最初の予定では私も彼女と一緒に絵を描く筈だった。ところがどうも食道代行の胃が食道につながっている継ぎ目がおかしいのだ。食べるたびに食べ物が喉につまる。「吐く」要領でゲーゲーやると突然大きなゲップみたいなものが出て来きて、欠片がストンと落ちる。しかしそのゲップもどきがでるまでは酸欠気味になるのか、顔の筋肉が全体的に緊張し眼圧が高くなっているような気がする。そして困った事にゲップがなかなか出てくれないのだ。これまでも1日に1度はそんな状態になっていたのだが、月曜日はそのくりかえしがひどく、夕方にはこめかみがずきずきと痛みだした。そういう状態では絵を描く気にもならない。


「もしかしたら、また狭窄になってるんじゃないかしら」という疑惑が月曜の昼頃から心を占領しはじめた。さらに夕食も喉につかえてしまい、疑惑は切迫した懸念になった。あと1週間で日本に行くのだ。拡張を外科医にお願いするにはあまりにも時間がないと、月曜の夜は余り眠れなかった。


火曜日の午前中に駄目もとでBWHに電話をかけて症状と時間のないことを説明した。さすがBWHだ。あんなに大病院なのに2、3時間で術前検査と拡張を翌日に入れてくれた。


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さて水曜日。9時半に術前検査を受けたのだが、拡張のために麻酔をかけてもらたのは午後4時半頃。追加の患者だったので文字通りその日最後の手術だった。全身麻酔も拡張もすっかり慣れてしまったけれど、ここまで遅くなると前夜からの絶食と 絶水がなかり堪える。


ショックだったのは、麻酔が覚めた時にやってきた外科医に「狭窄はたいしたことなかった」と言われたことだ。そんな風に言われたら私は「お騒がせおばさん」になってしまう。否、それよりもあの苦しさは何だったのだろう?結局一生喉元でのつまりと共に行きて行かなければならないっていこと?普通に物が食べられる日はこないの?食道癌患者の中には術後数年しても飲み込みがうまくできず苦労している人もいる。私もその部類なのだろうか?暗い予感が心をよぎる。


しかし冷静に考えてみると、私の喉元は直径18ミリしか開いていない。1ミリでも小さくなると物が詰まる閾値を越えてしまうのではないだろうか?月曜日に6ヶ月検診があるのでまた外科医と会う。何故18ミリまでしか開けないのかも含めて、じっくりと質問してみよう。


PS:4/4, 4/5のイメージは水彩の先生が当日ものしたスケッチです。無理を言ってイメージを貸して頂きました。