「この次は狭窄があんなにひどくなる前に来て下さいね。針の穴ぐらいまで小さくなっていましたよ。あそこまで小さくなると拡張するのも危険になりますから、たとえ2、3週間以内でも閉まって来たなと思ったらすぐ連絡しなさいね」


狭窄の術後診察をしながらBWHの外科医は言った。「え、そんなこと言ったって、術後は何が正常で何が異常かわからなかったんですけど。。。」と言いたくなるのをぐっと堪えた。


食道摘出みたいな大きな手術を受けた後は、痛みもひどいし身体全体のシステムも変わってしまって、『健康な状態』とはどんな状態なのか本人にも分らない。過去にも喉が閉まる感覚や、食べ物を詰まらした例などを外科でも腫瘍内科でも訴えたのだが、医者側は誰も狭窄のことを話題にしなかった。1つには狭窄になるには時期早々だったことも理由だろうとは思うのだが。。。


不思議なことに術後の狭窄の可能性の説明が誰からもなかった。医者達は私がもう知っていると思って説明の必要を感じなかったのだろうか。狭窄という言葉を出したのも、質問をしたのも私の方からである。


医者側から話題が出ていないことを質問するには勇気が要る。過剰反応で不快感を想像しているだけと思われたくないし、知ったかぶりの生意気な患者だとも思われたくない。だから12月初めの検診では「過剰反応かとも思うのですが、どうも食べ物が喉に詰まる頻度が高くなっているように思われます」と控えめに述べた。


その言葉を正面から受け止めて拡張手術をしてくれた外科医には感謝しているのだが、それ以上に本当に狭窄が事実あったことにホットしている(うそつきのオオカミ少年ピーターじゃなくってよかったみたいな気持なのだ。)


さて、当日のBWHは患者で一杯だった。私のアポは8時15分。本来診察は8時30分に始まる筈なので一番乗りの患者だろうと思った私は甘かった。到着した時は既に10人以上の患者が椅子に座って待っていた。来週の月曜はクリスマスなので今週の月曜日に皺寄せが来ているのだ。


見通しの甘い私は9月の手術の際にインタ−ミディエット看護をしてくれた看護婦のとも子さん(写真)と8時半から9時の間にコーヒーショップで待ち合わせの約束をしていた。心のこもった看護をしてくれた彼女にお礼が言いたかったし、これから御友達になりたかったのだ。でも、この混み様では診察がいつになるか分らない。急遽予定を変更して、待合室に来て頂いた。


とも子さんは現在BWHのインタ−ミディエットケアで12時間の夜勤を週3晩勤めながら、ボストンカレッジの大学院修士課程でナースプラクティッショナーになるための勉強をしている。ナースプラクティッショナーとは、看護婦ではあるけれど、基本的なケアに関しては医者と同じような権限をもち診察ができ、処方箋も出せるプロフェッショナルである。来年からは公衆衛生に関するボランティアをしたいし、修士は腫瘍学を専門にしたいのだそうだ。こんな風に目的がしっかりしていて、積極的な人と話をするとエネルギーの糧になって、自分も元気になる。何となく気が合いそうで、御友達になれそうで、ワクワクするとっても嬉しい一時をすごした。


「日本に帰る気はないの?」と尋ねると「アメリカではキャリアをどんどん深めて行けますが、日本は看護婦の地位もレベルも低いですから帰らないでしょうね」とのこと。「そうですよね。日本って看護婦はまだ『白衣の天使』で綺麗どころの若い子がいいみたいなとろがありますよね」と重ねて問うと「そうなんですよ、日本の看護婦の募集要項なんかみると年齢26歳までなんて書いてあるんですよ。」とのこと。


今回医者よりも頼りがいのある看護婦に沢山接したので、私も日本の看護婦の制度や教育が変わってくれるといいなと思う。そしたらとも子さんみたいに優秀な看護婦さんが日本の診療に大きく寄与してくれことるだろう。


さて、8時半のアポは結局10時過ぎの診察になったのだが、病院を出たのは11時半だった。外科医から50代の女性の患者に会って話をしてくれと言われたのだ。私と同じように食道癌の診断が下り、これからPET検査、内視鏡エコー検査をするのだそうだ。まるで半年前の混乱しておびえていた自分を見るようだった。一応電話番号を交換し、このブログのURLを教え、「(私みたいに)元気になれるから」と行ってハグして分かれた。


彼女が電話をしてくれ、私のブログの最初の数ページを読んでくれるといいのだが。。。


実は、BWH、腫瘍内科、あるいは通っている教会をベースに癌患者のためのサポートグループを始めたいと思っていたのだが、彼女に出会うことでますますその思いを強くした。そろそろ立ち上げの準備をしなきゃ。。


追伸:アップした写真、とも子さんと私って、まるでむか〜しの黒子さんと白子さんの広告みたいですね。外科医の右腕の医者が私のお腹の傷跡をチェックしながら「こんなに日焼けしちゃだめだよ!」と言い放ちました。私の地黒を日焼けだと勘違いしたらしいのです。。。へこみはしませんでしたが、改めて自分の小麦色の肌を自覚しました。日本じゃなくて米国に住んでてよかったと思う一瞬です。


追伸その2:「外科医の右腕」って変な日本語。片腕じゃなきゃおかしいですね。英語では腹心のことをright handと言うのでごっちゃになってました。日本語も英語並みにおかしくなってきたようです。