日本では今でも「癌の告知」という言葉を使うのだろうか。そして今でも「告知の如何」を医者は考えるのだろうか。22歳で米国に来てしまったので日本の現状が分らない。 


友達、夫側の親戚、兄弟にはすっと真実を伝えることができた私だが、両親にどう伝えるかには頭を悩ませた。私の年代の人は皆感じることだけれども、見るたびに肩が丸くなり小さくなって行く両親には悪いニュースをできれば伝えたくない。


両親の年代にとっては癌は「不治の病』で理解されている。さらに我が家の場合、お気楽で結構肝っ玉の座っていた母親が軽いアルツハイマーに罹っているので、父親が「介護』の役割を担っている。父は感情的に非常に脆いところがあるのに、そのバランスをとってくれるパートナーがいない。


もしかしたら教えない方がいいかもしれないと思ったこともあるけれど、自分を父親の立場に置いてみた。知らされないことほど悲しいことはあるまい。それに、これまで彼らは70余年の人生の中で様々な辛酸を嘗めているはずで、私たちの知らない強さや叡智を持っている筈だ。


しかし、どうしたら一番ポジティブな形で伝えられるだろうか。これと言った戦略も考えられず、時間だけが過ぎって行ったのだが、突然横浜に在住の弟が長男を連れて7月の第2週目の週末に帰郷する計画を建ててくれた。


お蔭で、日曜の朝御飯が終わった頃に鹿児島に住んでいる弟も顔をだす、そのタイミングで弟達が話を切り出す、ちょうど説明が終わる時間を朝の10時頃と見計らって、私の方から電話をかける、というステップがあっと言う間に決まった。


どうやら、弟達は私のブログの抜粋を持って行って説明してくれたらしい。電話をかけた時の父親の声はかなり落ち着いていて安心した。驚きや、不安や、心配は弟たちがいなくなってからじわじわとやってくるに違いない。しかし、彼には耐えることができる強さはある筈だし、毎朝のお勤めの時に祈ってもらえたら本望である。