手術から回復した時も感じたのだが、人間の回復力、適応力はすごい。24時間前は、吐き気を恨んで泣いていたのに、今朝は「もしかしたら空腹かもしれない」みたいな感覚だった。尤も、それはちょっと幻影で薬が切れたとたんに軽い吐き気が来たのだが、それでもずっと楽。薬を飲んた後、朝御飯(アイスクリームとバナナ1/4)を食べられた。


午前中散歩をしていると、カリーデビーマヌックと言う名前のインド人のおばあさんに出会った。実は、ちょっと苦手な人である。


米国では非常に優秀なインド人が医療、テクノロジー他のプロフェッショナルとして仕事をしている。そんな人達は必ずインドからお母さんを呼び寄せる。家族が一緒になることは、彼らにとっては重要なことだし、同時に子育ての助っ人も得られるからだ。


このおばあさんの娘さんは、米国で勉強している時にオーソドックスカトリック教徒のアメリカ人と出会い、結婚した。彼女は孫の子育てを助けてはいるけれど2つの文化の間でかなり苦労をしているのだろう。私が歩いていると必ず一緒に歩いて来て色々な話をする。おばあさんだから、歩くのがのろいし、時間をもてあましているから、話も長くなって大変だ。さらに一番こまるのは彼女のインド訛の英語が分かりにくいことだ。ひどい時は半分も分らない。相づちをうつのもかなり大変になる。だから、早足で散歩してから仕事にかかろうなんて思っている時は、気付かない振りをしてササッと通り過ぎることにしていた。


今日彼女は家の前のベンチに野球帽(!)を被って座っていた。歩いて来る私は彼女の照準に真っ直ぐ入ってしまい、しっかり捕まってしまった。「どうしたら、話をあまりしないで済むだろう。よし、病気だと言っちゃえ」と心を決めて彼女と向き合った。


「病気?」「どうしたの?何?」(あ〜〜、え〜い、もう言っちゃえ)「実は癌なの」「え、どこ?いつ分ったの」「食道。5月」彼女は食道という英語がわからなかったのでフードチューブと言ってやっと分ってもらった。


「えっと、貴方の名前なんだったけ。まゆみね。分った。私は毎週断食してヒンズー教の3神に祈るのが習慣なの。その時貴方が治るように一生懸命お願いする。3体をしているけど、実は神様は1つなの」


突然太い指を広げて、それを飾っている4つぐらいの指輪を見せて、「これはゴールドよね」と言った。次にネックレスを見せて「これを私たちはチェーンと言う」と言った。「指輪、腕輪、チェーンにしても、すべてゴールドなの。雨も海もみんな水よね。私たちが呼び方を変えてるだけなの。私の娘は子供をキリスト教に洗礼したけど、神様は神様なの。私は貴方の癌が影も形もなくなるようにこれから祈るわ。貴方は神様と1人で厳しい道を歩かなきゃならないけど、残された家族のために生きるんだって祈るのよ、いいわね?」


「治ったらね、私の神様のためにバラを数枝奉納してちょうだい」、そう言って強い眼差しで私を見つめ、2回抱きしめてくれた。全く知らない者同士でも、人間はパワフルな情愛で結び付いている。


私は思わず「ナマステ」と言って彼女に手を合わせた。ナマステとはヒンズー語のハローみたいな言葉だけれど、「外見がどうであれ、貴方の中に魂を見いだし、それに挨拶をします」という意味である。


なんだか元気が出て、揚げ豆腐、茄子、タマネギでお味噌汁をつくり、卵を落として食べた後、昼寝をした。

ところで、夕食の差し入れが、またもや友達からあった。本当に有難い。