今リビングのテーブルの上のお盆には小石がこんもりと山になっている。


昨日は4組の御友達夫婦に無理を言って来てもらって小さなセレモニーを行った。大手術や化学療法を控えた患者に対してRachel Remenが「Kitchen Table Wisdom」の中で薦めているものだ。


まず、皆に小石を持って来てもらう。それぞれに、これまでの人生の中で何が一番大変だったか、そしてそれをどう乗り越えたかを話してもらう。例えば、人によっては祈ることで乗り越えた人もいるだろうし、ユーモアで乗り越えた人もいるかもしれない。セレモニーの最後には、例えば「ユーモアの力をこめて、この小石を貴方にあげます」と言って当人に渡す。当人はその小石をもって手術に臨んだりするわけだ。


私は癌にかかったこと自体を嘆いたり、それに怒りを覚えることはないのだけれども、とにかく「痛み」や「吐き気」という形而下、肉体的なことに非常に弱い。だから9月か10月にやってくる大手術に伴う痛みには大きな不安を抱いている。なにかしがみつけるものが欲しいと思った。


また、私は人と話したり、人と場所を共有することで元気になる。かなり長くやっていた坐禅にしても、みんなと一緒に黙って同じ空気をすっていることでエネルギーをもらっていた。また通訳の仕事も人と接するのが好きだから楽しむことができるのだと思う。


自分の抱えている不安、性格を考えた時、このセレモニーはとても適切なものに思えた。


集った計8人の人々は、私の超自己中心的な申し出を正面から受け止めてくれて自分たちのくぐって来た苦しみを話してくれた。皆から貰った「力」「叡智」は、私が心の中にもっていた力や叡智に水をやり、幹を太らせ、様々な枝葉をつけてくれるものになりそうだ。


私のもらった力を表現するのは難しいけれど、皆の言ったことは、こんな形でまとめられるかもしれない。


私たちが人生で出会う事象、事件(不幸)には必ずしも理由があるものではない。人を襲う事象はランダムである。しかし、必ずトンネルの向こうに行き着けるものだ。その事象と対応する時は、注力して頑固に取り組まなければならないけれど(例えばいい医者を探すようなこと)、自分の不幸だけを見るようになってはいけない。もっと悪いシナリオだってあるし、周りを見渡せば自分よりずっと大変な苦難が世の中には蔓延している。それを忘れてはいけない。そして自分が今置かれている状況から目をそらすのではなく、真っ直ぐ受け止めれば、その状況自体がもっている「ポジティブな底力」を発見できるはずだ。そしてその「不幸」な事象の中にある時には、気晴らしと闘いをバランスをち、静隠に対応していくべきだ。そして自分の心に隠れている強さや叡智を大きくする、あるいは発見する意味での祈りには大きな力がある。また、人間は孤独ではない。人間のもつ愛と「思いやり」で結び付いていてその結びつきが助けてくれるだろう。また治療を始めたら、その治療を信頼することが大事だ。


そして究極的に所謂不幸と呼ばれているものは、長い目でみれば決して不幸ではない。


息子2人にしてみれば、ちょっとヘビーだったかもしれないけれど、彼らにも傍聴人の形で参加してもらった。そしてそのセレモニーの後は皆でも持ち寄った食べ物でポットラックディナー。ディナーを食べながら若い頃いかに貧乏だったかの笑い話になった。食費がなくなって川で魚をつって飢えを凌いだ話。ぼろ車のブレーキが効かなくなって坂道を超スピードでおりて麓の道を2回転してやっと止まった話など。。。とても楽しくて、元気が一杯出た。


小石と一緒にバードウォッチャーの本と双眼鏡とライラックの石けんも貰った。