術後8日目で鎮痛剤を全く飲まなくて良くなった。咳をしたりすると「陣痛より痛いかも状態」になるけど、それは1日に2、3回のことだ。ビタミン剤も飲まない人間なので薬に依存しないことがとても嬉しい。


今日はまたBWHに行った。金曜日の朝7時半に放射線医と会うのだが、彼にCTスキャン、PET スキャン、超音波の写真、術医の記録、内視鏡検査の記録、生体検査結果をまとめて渡さなければならない。術医をBMHのB医師に変えたので、検査が途中からBMHに移動したが、CTとPETスキャンは近所の病院である。フィルムや記録が色々なところに点在しているので集めに行った。予想したごとく、なかなかスムーズに行かず3時間(移動時間を入れると6時間ばかり)無駄にした。最初の病院で手術することにしたらこんなことにはならなかったんだろうな、とふと思う。「いや、いい結果を出すためには努力を惜しんではならない、医療でも勉強でも同じだ」と思い直す。


時間はかかったけれども、術医の記録が手に入ったので読んでみた。かなりひどい!


大きくなった腫瘍が殆ど食道を塞いでいると書いてある。なるほど!何度も「液体は飲めますか?」とか「ホントに食べられますか」と訊かれたはずだ。J−チューブを入れる決断がくだされた理由も分る。でも、ゆっくり食べるようになったとは言っても、まだ何でも食べられるので自分ではその記述が不思議だ。。。


だが、待てよ。。。色々な場面が頭に甦って来た。
1月日本に帰った時母が食べ物にむせた。その時「やっぱり親子だ。私も結構むせることあるもんな」と思ったのだ。冬休み、子供達のために食事を作りながら味見をしていた時、むせてしまった。その時、皆から「お〜〜い、母さん、口をちゃんと塞いでよね。ばっちいよ」と顰蹙をかったんだった。2月に通訳の仕事中、水にむせて会議を中断したこともあった。4月にはカリフォルニア州バークリーの寿司屋でひどくむせた。「きゃ〜ワサビがきつくってさ〜」と言い訳をしたけれど、あれは尋常なむせ方ではなかった。充分に症状が出ていたのだ。


それに、4月の半ば頃から仕事のために起きるのがつらくなった。「あらら、どうしたのかしら、不登校かしら」と思ったものだ。さらに4月の下旬のデトロイトでの仕事では、午後6時から始まるミーティングの前にホテルのベッドにふらっと横になったまま寝てしまって、30分ミーティングに遅れてしまった。単に仕事が押しているからだと思ったのだが、体力が落ちていたのだ。


そう言えば、3月頃から「細い」「tiny」と良く言われるようになった。細くなったと言われて嬉しくない女性はいないから、単純に喜んでいたけれど、もしかしたら病的だったのかもしれない。


人間の適応力はすごい。3月の中旬に飲み込みにくくなったと感じた。しかし、すぐに無意識に良く噛んで食べる努力をするようになったのだろう。その嚥下困難感はすぐに感じなくなった。そしてチキンやお肉はさけて、魚やパスタを好んで食べるようになった。今の私の食べるスピードは非常に遅く、普通の人の2倍時間をかけて食べている。代わりに「飲み込むのが難しい」なんて全然感じないのだ。だから時々「もしかしたら治ったのかもしれない」とさえ感じることがある。


本格的な症状が出てからの癌は末期なのだ。定期検査による早期発見が治療の鍵だ。


日本では定期検査でバリウムを飲むけれど、米国では胃癌や食道癌は今のところ非常に少なく、胃の内視鏡検査なんて殆ど聞かない。日本にいたらもう少し早く発見できていたかもしれないと思うこともある。


皆さん、時間を調整するのは面倒だけど、定期検診を必ず受けて下さいね。特に「殆ど風邪もひかない」ぐらい健康な方こそ。


追伸:夕飯は次男の係だった。ハルビットという白身の魚のグリル、バーベキューチキン、コーンをゆでたもの、お味噌汁(お昼に作ったものの残り)、実だくさんのサラダ、玄米、買って来たアップルパイ。。。ピース