7月11日に摘出手術をしてくれた外科医との検診がある。摘出は2006年9月だったけれど、術前に放射線化学治療を行ったので、経腸チューブを入れる手術を行ったのは6月14日。本当の意味での「5年生存」のご報告は、7月11日にと思っていた。


ところが、である。5月26日に受けたマンマグラムで異常が出てしまった。出張先のソルトレークシティに電話が入り、「硬化した組織があるので、再検査」と言われてしまったのだ。当地の出張は2週間に及ぶものだったし、その後も旅行や仕事の予定が入っていたので、再検査は1か月後になる。「絶対何でもない」という妙な自信 ー 全く胸のない人が乳癌にかかる筈がないという単純なロジック − があったのだが小さなシャボン玉大の不安はあった。


そして今日が検査。あんなに「何でもない筈」と自信があったのに、問題があると言われた右乳房が妙に重く感じられる。そして5月に乳癌で亡くなったid:ayumi_aさんに話しかけている自分に気付く。


食道摘出をした後の私は身長157センチで体重43キロぐらい。もともと豊かでなかった胸は殆どなくなった。マンマグラムというのは乳房を2枚の板の間に挿んでレントゲンをかけるもの。技師の方は毎回苦労なさるのだが、今回は胸の奥の方の撮り直しなので二人掛かりで(!)四苦八苦。私の方も肋骨をこする感じで胸をつままれてかなり大変。何度も撮り直しをして、やっと取れたらしい。2人でごしょごしょ話しをして「ちょっと待ってて下さいね」と部屋を出て行ったきり、なかなか帰ってこない。


「乳癌だったら又化学治療かぁ。髪の毛が抜けるなぁ。癌だったらもう仕事は辞めて旅行三昧しよっと。もし手術で乳房をとることになったら、食道癌の摘出と乳房で文字通り満身創痍。温泉は絶対むりだわな〜〜」
「息子達大変だな。。。母親は食道癌ー乳癌。父親は前立腺癌。生命保険の額が高くなるだろうな。『癌家系』になっちゃうだろうな」


「何でもない、絶対大丈夫」の自信はどこへやら。一人残された検査室の中で色々シナリオを考えてしまった。その背景には5年半生存した後に血液癌にかかってしまった室川さん、乳癌の転移で亡くなったあゆみさんid:ayumi_aさん、その他再発や転移(その疑い)を抱えている人々との交流がある。


5分ぐらいしてからだろうか、レントゲン医が技師と一緒に現れ「大丈夫ですよ、なんでもなかった。胸の血管に石灰沈着があっただけです。胸が小さいからよく見えなかっただけでした」と言ってくれた。普通はレントゲンのリーディングに2、3日かかるのだが、患者の懸念を受け止めてくれたのだろう。とても有り難かった。


更衣室で検査用ガウンから私服に着替える前に「あゆみさん、大丈夫だったよ。有難う」と思わず手を合わせた。そろそろ彼女の49日だ。