一昨年の夏、私と同じ食道がん患者の女性(ステージIV)が亡くなった。腫瘍内科医も外科医も同じだったので私のブログの英語版を読みながら「うんうん私の髪の毛も抜けて来た」なんて言いながら闘病していた人である。しかし抗がん剤放射線治療の途中で転移がみつかり亡くなった。


そのニュースを私に伝えた腫瘍内科医が「彼女は死を受け入れる気持ちだったんだけど、息子さん達が闘病を続けてほしくてね。痛々しかった」とポツンと言った。


私も化学治療、放射線治療、食道摘出手術を経験したわけだけれど、一番きつかったのが所謂ケモラジ、放射線と化学治療だった。ケモラジに対する人の反応は個人差があるから何とも言えないけれど、「毒を盛られた」気持ちの悪い身体の衰退に較べると、摘出手術後の回復はずっと楽だった。多分他人には手術後の回復の方がヒロイックに見えたかもしれないけれど。


だから老齢の癌患者が「化学治療を始めたら昏睡状態に陥り2週間ももたなかった」と言うような話を聞くたびに、End of Lifeの治療如何、自分らしく死ぬことなどをもやもやと考えて来た。


以下はボストングローブ2月16日の医療記事の翻訳。私感を交えないように抄訳ではなく丸々訳したので私の意見は入っていない。


ボストングローブ2月26日の記事より

誰が決めるのか?by Kay Lazar

臨終間際の患者が医療介入を拒否するのは大変なことである。愛する家族が苦悩して反対する時はもっと大変だ。


産科医Luann DePondestaはこれまで多くの生命をこの世に送りこんだが、現在は 生命を 優しく送り出す仕事をしている。


ボストン北部郊外の患者の世話をしながら、彼女が目撃するのは、治療を止めようと言う患者自身の気持と死なせたくないという家族の気持の衝突である。取り乱した息子や娘の苦悩を軽減するだけのために年老いた患者が自分の意志を曲げて治療を受入れるのをDepondestaはこれまで何度も目撃している。


「人は何もない所で決定をするのではありません。自分の愛する人のために、自分の死が愛する人にどんな影響を与えるかを基軸にして、End of Lifeの決定をします」と彼女は言う。


End of Lifeの医療について希望や要求が食い違うのはよくある問題だが、明確な解決法がなく、あまり話し合われることもない。


ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシンの最新号でBrigham and Women’s 病院の3人の医者がこの心理的なジレンマを語っている。


以下はジャーナルの編集局長のJeffrey M. Drazenを含め、医者達が語るケースである。メラノーマに罹り7年以上生存した83歳の女性患者が病院のICUに担ぎ込まれたが、腎臓障害他様々な病気を抱えていた。患者は「もう治療は要りません」と医者達に明確に伝えた。


普段のプロトコールに従って医者達はベッドの横で家族と共に治療のオプションを話し合い、彼女が1年以上生きるチャンスは非常に薄いと説明した。彼女の夫、息子、そして娘(彼女のHealth care proxyの被委任者)達が家族だけの時間を要求したので、医者達は病室を出た。45分後に、部屋から現れた息子は「母を救う為にでき得ることは全てするべきだ」と告げた。母親は息子を喜ばすために自分の希望を保留したと医者達は後で知った。


彼女は化学治療を受け、透析用のカテーテルを埋め込んだが、ICUを出て3ヶ月もしないうちに亡くなり、家に帰ることはなかった。


「彼女が亡くなってからずっと、医者として正しいことをしたかどうかを問い続けています。家族が患者にフォーカスを当てるように努力をしていますが、失敗することが多いです」と彼らは言う。


そして、これと同じようなケースが当病院のICUでその週3度あったと医者達は記している。


これと似たような話が全国でどのぐらい起こっているのだろうか。


正確な数字を捕らえるのは難しいが、調査によると殆どの米国人は「どんな犠牲をはらってでもの延命」は望んでいない。しかし、End of Lifeの選択を健康時に話す人は少ない。


2005年のマサチューセッツ州でのEnd of Life Careの調査によると83%の人が愛する人の負担になりたくないと言っている。しかし、連れ合いやパートナーに自分のEnd of Lifeの選択を話している人はその半分の53%。家族と話したのが57%。主治医と話をした人はたった10%である。


別の数字をみると、違う観点からの困ったイメージが見えて来る。Dartmouth Atlas of Health Careの2008年の調査によると、毎年何十億ドルもの医療費が老人の最後の6ヶ月に費やされている。


同リサーチによると、患者1人当たりに対し多額のサービスを提供している病院、地域、州が、それより少ないサービスを提供しているところより質の高いケアを提供しているわけではない。何百万もの記録をリビューしたところ、メディケアの患者の最後の6ヶ月間に平均して25,358ドルが使われている。


ボストンのBeth Israel Deaconess メディカルセンターの病院長でありCEOのPaul Levyはなぜ死が間近になっても治療を継続する衝動があるのかを理解している。


「病院側のスタッフは家族からの圧力のせいで出来ることを全て継続する義務を感じるのです」と彼は言う。


およそ4年前Beth Israel Deaconessセンターでは、医者と患者、あるいは患者の家族の間で治療を止めることに関し意見が一致しなかった時に対応するポリシーを設置した。医者が更なる治療は効果がなく、害を与えると判断したのに、患者や家族が同意しない場合のための上訴、ヒヤリング、レビューのプロセスがポリシーに整然とまとめられている。そのプロセスの中にはソーシャルワーカー、聖職者、その患者に関わっていない医者のグループによるレビューが含まれている。


もしグループがさらなる治療は無駄、あるいは害になると決定した場合、家族、患者はその治療を提供する別の病院への移動のチャンスを与えられる。また法律的に介入ができることも銘記されている。


この場合には感情が入って来るし、家族のダイナミクスも拘ってくるため、「患者が本当に何を望んでいるのか、患者の決断を助けることがよくあります」とセンターの緩和ケア、倫理プログラムのディレクターのLachalan Forrowは言う。


Brigham and Women’s病院のポリシーも同様であるそうだ。全国的な病院認定プログラムのプロセスの下、どの病院も治療提供のため、或いは拒否のために、患者の権利、End of Life Care、スタッフの権利を表記しなければならない(マサチューセッツホスピタルアソシエーションより。)問題の多くは倫理コミッティが対応している。


「この辛いディベートに際して、老齢の患者が大人になった子供達を保護しようとする気持には驚かされます」と緩和ケアの看護婦Karla Kay Shearerは言う。


Shearerはホスピスケアで12年間働き、シンシナティのMercy Mount Airy病院で緩和ケアのコーディネータをしているが、年老いた親が、本当は治療を受けたくないのに、親の死を受入れることができない息子や娘を保護するために治療を受けたいと言うことが多いと語る。


そんな時、Shearerは苦悩する息子や娘に対し、アグレッシブな介入で親の呼吸の維持は可能になるけれど、生きる価値のある経験を継続することはできない、「延命するために全てをやることは、愛する人から生きることの全てを奪うことになる」と伝えるそうだ。


その時が来るずっと前に家族の間でフランクな討議が行われるべきだとスペシャリストは言う。


多くの人がこの話題にひるむことを理解して、Beverly  Healthcare Communications社の社長は昨秋オンラインのキャンペーン、Engage with Grace (www.engagewithgrace.org) を開始し、この話題で話すためのリソースやヒントを提供している。


「コミュニティでプレゼンをする時に家族全員で話をしなきゃ駄目だといつも言うんです。だって『闘い続けて欲しい』と要求するのはお母さんに何年も会っていないカリフォルニア在住の息子や娘なんですよ。不意打ちがないように家族全体で話し合わなければなりません」と、ウースターを拠点にし、家族がEnd of Life の結論を出す支援をしているコミュニティ連合のディレクタ―Christine McCluskeyは語った。