1日の殆どを掃除に費やした。棚を整理するためにプラスチックのバスケットをいくつか買ってきて、投げ入れてもカテゴリーがごっちゃにならないようにした。このカテゴリーが適切なものであるかは時間が判断してくれるわけだ。でもここ3年ばかり水害が続き、子供達が大学に出たり帰って来たりを繰り返し、私が病気になる前からウチの中は混沌状態だったのだが、やっと目鼻がついた。明日夫が帰って来るまでは小康状態だ。


ちょっと綺麗になった家の中で「裏庭」という梨木果歩の小説を読んだ。1年半ぐらい前に友人が薦めてくれた女性作家だ。この作品は1995年の児童文学ファンタジー大賞の受賞作だという。私の購入した新潮社文庫の後書きは最近お亡くなりになった河合隼人氏が書かれている。氏が書いているように様々な重層構造(日本と西洋、生と死、男と女、昔と今、現実と異界)を中にもつ見事な作品なのだが、児童文学としては「成長」ー 個の確立ーの物語なのだろう。舞台的には全然違うけれどMadeleine L'EngleのA Wrinkle in Time(日本語では『5次元世界のぼうけん』)を思い出させるものだ。


話の一主題は「心の傷」を人間(児童文学だから子供)がどう克服するかなのだが、そこにとても印象深い言葉があった。tell me (照美)という名の主人公が旅の中で3人の魔女と出会っていく。その時魔女達がそれぞれ「傷を負うことをおそれるな...触れ合うことが出来なくなる」、「皆が傷をさらしているので...目に見えぬまやかしの癒しの筋の根がはびこって、がんじがらめになってしもうた...あらわになった傷はその人間の関心を独り占めする。傷が、その人間を支配してしまうのだ。本当に癒そうと思うなら、決して傷に自分自身を支配させてはならぬ」、「傷は育てなければいかん」と彼女に伝える。


優れた言葉やストーリーは読み手や受け手の環境や状況如何で様々なメッセージを出してくれる。未だに罹癌後の回復が大きな課題である私は『傷』を『病気になること、治療』と置き換えて読んだ(多分半年後には全く違った読み方をするのだろうが。)


さて、そんな思いにふけっている時にid:karinnさんの書き込みでid:Jkondo氏の言葉に出会った。


“自分はもうこれ以上は仕事できない、というところから5回くらいは壁を越えられる気がする ”

http://d.hatena.ne.jp/jkondo/20070727



私は根性なしだから、そこまで仕事をしたことはない。だけど今回たまたま手術や抗がん剤放射線治療という外的要因によってそれと似たような経験をさせてもらったのかもしれない。自分の生命力にびっくりしたことが度々あった。


傷を負うことを恐れず、傷に支配されず、傷を育てる。人間「もう駄目」ということろから5回ぐらいは壁を越えられるんだから。。。。とっても無責任な「アウトオブコンテクスト(文脈無視)」の読み方だけど、なんだかとっても力が出た。

写真は家の裏庭より。