外科医の使う術用マスクをつけ、ラテックスの手袋をはめて出て行った長男の部屋を掃除する。見事にホコリだらけ。掃除機を最後にかけたのはいつなんだろう?


ベッドの足下に普段はスツールとして使っていたおもちゃ箱がある。開けてみると出て来る、出て来る、懐かしい玩具の数々。パワーレンジャーのバズーカ砲(っていうのかしら?)、デズニーランドのカリブの海賊ショップで買った火縄銃、ピストルセット、姫路城で購入した十手はなぜかセロハンが巻かれたまま、赤ちゃんの時から幼児期まで肌身離さずもっていたテディベア(ドイツ製)、レゴの欠片。。。結局何にも捨てられない。全部箱に戻してしまった。


紙、紙、紙、ぺん、ペン、ペン。。。高校時代のノート、大学時代のペーパー。。。多分捨てて大丈夫なのだろうけれど破棄するのははばかられる。地下に移動させようかな?その前に地下を掃除しなきゃ。それにしても何故にこんなにボールペンやサインペン、そして半分しか使っていないノートがゴロゴロ転がっているのだろう?


むか〜し、私が小さい時、兄弟3人で祖母の家に3日ばかり滞在したことがある。孫を1人で預かる事になった祖母はすっかり緊張して、おやつにレーズンやコーヒーガムなどを準備してくれていた。でも私が一番困ったのは漫画が自由に描ける自由帳や白い紙、描きやすい鉛筆がないことだった。昔は鉛筆やペンや紙がとっても貴重だった。


少なくとも私の世代までは筆箱に何本鉛筆が入っているか充分に把握していたし、シャープペンには替芯を使っていた。しかし、米国の息子達の世代では、筆箱なんて誰も使ってないし、シャープペンも使い捨て。ペンも鉛筆も確固としたアイデンティティをもたされることなく1,2回使われては忘れられて行く。でも「まだ使えるから」息子達も捨てる事はしない。忘れ去られた筆記用具の山だけが残る。一応全部集めてみた。これだけあれば一生ペンを買う必要がないかもしれない。


さて、息子はPCを自分で作るのが趣味だ。知らないうちにディスクドライブやマザーボードをオーダーしていつの間にか新しいコンピューターを作ってしまう。そのせいで古いモニターもハードディスクも「まだ使える」と思うのだろう。一見ガラクタの宝物の山がクロゼットを占有している。さらに何の説明書か保証書か分らないものが山積みになっている。一番始末に終えないのが、接続コードとCDの山。一体何と何をつなぐのだろうか。プログラムのCDなのだろうか?捨ててしまうと困る物なのだろうか。バラバラになってるってことは捨ててもいいのだろうか?判断ができず袋に全部まとめる。


結局、丸一日費やしたのに全然綺麗にならなかった。