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今日はマーティン・ルター・キングの日で祝日。やはり先週4日間仕事をしたからだろうか、日曜の朝5時に3週間の予定で夫が日本に発ってほっとしたからだろうか。昨夜からのダンピング症候群がよくならず、殆ど1日中ごろごろしていた。


先週の仕事はボストン美術館と名古屋の姉妹館との間の話し合いだった。これまではミーティングの始まりが10時と比較的ゆったりとしたスケジュールだったので引き受けたのだが、今回は9時から5時まで、休憩なしでびっしり様々なミーティングが入っていた。話し合いが長引いて6時近く、あるいは7時近くまでかかった日もあった。救いは隔日の仕事だったこと。仕事のある日はヘロヘロになるまで疲れても翌日はゆっくりできた。


我が家からボストン美術館までは、ラッシュアワーだと2時間ぐらいかかる。今の私の状態では運転だけで参ってしまいそうなので、夫と息子に運転を頼んだ。毎朝6時に起きて、できるだけ朝食を食べる。7時15分に家を出て、車の中でも少しずつスナックを食べてカロリーを摂取する。お昼はメニュ−の中のスープしか食べられないので、リッツクラッカーやチーズを持参。ギャラリーからギャラリーへ移動する合間にチョコレートを口に放り込む。しかし、立ち仕事もかなりあったからだろうか。帰りの車の中では疲れきって寝てしまう毎日だった。


仕事の第一日目は、身体も頭もペースに慣れず非常に不満足なパフォーマンスだった。夜帰って来ても、身体はくたくたなのに眠れない。最初の3日間ぐらいは仕事への復帰はもう無理だと感じてメソメソしていた。しかし最後の日ぐらいになると身体がペースを覚えたのだろうか。ミーティングの合間をぬって栄養補給するのもかなり上手になり、ほんのちょっとだけだけど頭も動くようになった。今回のパーフォーマンスについては優しく、辛抱強く見守って下さった日本側の学芸員の方に心から感謝している。


日曜の朝には夫が日本に発った。私の癌が発覚したのは彼が5月に中国を旅行している時だったので、8ヶ月ぶりの旅になる。やっと彼を解放してあげることができた。


2006年5月18日付けの腫瘍内科医からの手紙が手元にある。たまたま昨9月からサバティカル(研究休暇)に入ることになっていた彼は数々の助成金をすでに獲得していた。9月から日本やオーストラリアに旅行することになっていたので、助成金元に予定変更を伝えなければならなかった。それをサポートするための事務的な手紙なのだが、その痛いほどに乾燥した文章表現に当時の当惑や恐怖が思い出される。


『関係者各位殿、まゆみXXXにはごく最近食道癌の診断がくだりました。これから病期が評価され、手術、抗がん剤放射線の複合治療が始まります。病気と治療の毒性を管理するために、彼女の夫マークXXXの継続的な支援が必要とされます。よって、彼は少なくとも2007年の1月までは旅行することができません。質問があれば、ご連絡ください。XXX(医者のサイン)』


5月18日には永遠かとも思われた時間が過ぎ、想像することもできなかった治療の数々も過去のものとなった。全快はまだまだだが、家族や仕事先の人々の理解と協力のおかげで、少しずつだが仕事に復帰することも可能になった。私はなんと幸運な人間だろうと思う。


2週間前に夫の同僚の教授が癌で命を落とした。3日前には別の同僚の奥さんが膵臓がんで亡くなり、彼には4歳と5歳の女の子が残された。


命は賜り物だと良く言う。私の場合、それは比喩でもレトリックでもない。真実そのものである。