7/20/06


豆乳+蜂蜜を飲んだ後なら結構普通に食べられる。


朝:バナナ少量、鮭の蒸し煮、豆腐が沢山入ったお味噌汁
昼:枝豆、鮭の蒸し煮
夜:納豆、ご飯


これにプロテイン+果物+豆乳+アイスクリームのシェークを3杯。
漢方のサプリメントロイヤルゼリーなんか舐めてる(げえ〜〜っときそうなぐらいまずい)
食べる合間に免疫活性の体操をして、散歩。時々吐き気がくるけれど順調に食べた日だった。体重維持が目下の最大目的。痩せたくて痩せたくて堪らなかった高校時代に今の姿なんか想像できなかった。


午後日本の大事な顧客から電話があった。デトロイトでの重要な交渉を終えて日本に帰るところだと言う。実はこの仕事は去年の秋から話が進んでいたもので、私が一番心残りだった仕事である。今回の仕事の要請があった時はJ−チューブのポンプを飛行機に持ち込んでもデトロイトに飛びたいと思ったけれど、生憎毎日の放射線治療が始まっていたのでそれは叶わなかった。


この方とは前に別の仕事でもご一緒した。米国側のコンサルタント、日本の企業人を含めた大きなプロジェクトで長期間一緒に仕事をしたので「戦友」のような親しみを持っている。実はその彼も前回のプロジェクトの半ばで癌に倒れた。しかし今は回復し今回は違った仕事をご一緒していた。


「まゆみさん、どうやって癌って分ったの?僕の場合は出血して倒れるまで全然分らなかったんだけど」
「私も何ともなかったんですけど、咳が通訳のパフォーマンスの邪魔になると思って調べたのが契機だったんですよ」
「僕の場合は、倒れる前日天気が良くて外にでたんだけど、すごくかったるくて、あんまり動けなかったんだよ」
「私もそうなんです。前回のミーティングに遅れたことがありましたでしょう。時差ぼけでもないのにいつの間にかフワ〜とベッドに倒れてたんですよ。あの頃は仕事が押してたからと自分で言い訳をしたんですけど」


前にも書いたけれど、癌は私達の身体の中に秘かに棲みつき、かなり悪くなった時点でしかその正体を表さない。多くの場合、人の人生を変えるのは「癌による症状」が出た時点ではなく、医者から「癌だ」と言われた瞬間である。自分ではまだまだ普通だと思っているのに、そして結構普通に動けるのに、検査、治療、手術と世界が大きく変化してしまう。その変化を正面から受け止めなければならない。


「まゆみさん、僕も胃を3/4切ったけど、大丈夫だったからね。僕よりずっと若いんだから頑張ってください」
「私も自分には充分治癒力があると思っています」
「また元気になったら一緒に仕事をしましょう」


通訳という諸行無常の仕事の中でも、このような顧客との関係ができていたことを嬉しく思う。仕事関係の話もあったからだろうか。それとも戦友との会話だったからだろうか。何だかとっても嬉しい電話だった。