お腹にJ−チューブを埋めて、肩にカテーテルを入れてちょっとだけロボットになって帰って来ました。この日記、もう一度更新し直すかもしれないけれど、今ウチのテラスから初夏の裏庭を眺めながら書いています。野鳥がテラスの柱の上に乗ってる。


手術って闘いなんだね〜、痛みとの。今まで健康で全く知らなかった世界を覗きました。最初の全身麻酔は大丈夫だったんだけど、その後の痛み止め(麻薬系)で吐き気がして、2日目がめちゃくちゃ大変だった。吐き気と、霞がかかったような世界がいやで、痛み止めを飲まなかったため大変に苦しんだ。その上、検査が済むまでは水も飲ませてもらえないのに、バリウムは飲まなきゃいけなかったし(手術が成功したかを観るために。)バリウムを飲んで地下のレントゲン室でシクシクする痛みをこらえながら30分待って、レントゲン。その時は正直な話「この世の終わり」みたいな気がした。まさかこんなに苦しむとは思ってなかったから夫に「お見舞いに来てくれ」なんてお願いもしてなかったし。。。



でもその後医者が別の痛み止めを処方してくれて大分楽になった。2日目の夜はそのお蔭でぐっすり眠れて、3日目にはJ−チューブに食べ物を入れて実験。前日のバリウムが下剤の役目をして「お通じ」どころの話ではなかったのがちょっと可笑しい。そして今日はもう平常食。人間の回復力は凄いもんだ。


病院を出たのが2時半ぐらい。薬局に寄って家に帰ってきたのが4時半。6時前にはビジティングナース(訪問看護婦)が来てJ−チューブの為に必要な機材と栄養補給食を持って来てくれる。全て保険でカバーされるらしい。あんなに巨大な病院なのに、きちんとコーディネーションができてることにちょっと感激。これから数日間の私の仕事は「できるだけ歩くこと」である。


お腹にチューブを入れているので、ふつうの洋服はきれない。所謂昔懐かしい「あっぱっぱ」もしくは「ネグリジェ」がいいのだが、中年体型をひたすら拒否してきたので殆ど持っていない。やっと15年ぐらい前に母が送ってくれた「春田屋」バーゲンのアッパッパを見付けた。有難い。


長男が昨日ヨーロッパから帰ってきたとのこと。今日はもう仕事に出掛けてるが、仕事の前に電話で話をした。ドイツが一番良かったと言っていた。お土産にイタリアのワインが買って来てあった。


追伸:巡回に来たお医者さんの中には東大からのDr.ITOもいました。