今日は一歩後退。


BWH(Brigham and Women's Hospitalと書くのは面倒なので、これから頭文字を使う)で内視鏡エコーをしてもらった。このエコー検査で癌が食道の壁をどこまで浸食しているかが分る。残念なことに筋層まで浸食している上、近くのリンパ節まで侵しているらしい。リンパ節は腫瘍の裏にあったので生体をとることはできなかったとのこと。つまりT3。今回の内視鏡をしてくれた先生もとてもいい人で、もし検査結果を聞きたかったら、麻酔がさめた時点で説明すると言ってくれた。


「T3ですか。近くのリンパ節まで浸食ということは第2病期ですね。第2期には2種類ありますよね」
「え?医療関係者?それとも色々読んだの?」
「ちょっとだけ読んだんです」
「残念なことに早期発見ではなく、病期は2期のBです」
「分りました。月曜日の治療方針がかなり変わりますね」


これで、手術に加え抗がん剤あるいは放射線治療は確実なものになったと思う。どっちが先になるのだろう。しかし、医者は最初からリンパ節は取ってしまうと言っていたし、放射線抗がん剤の可能性も話の中に出ていたから、昨日までと現実は何1つ変わっていない。ベストケースシナリオがなくなってしまっただけの話である。


こんな時いつも思い出すのがアメリカインデアンの長老の言葉を訳した詩「lost」(道に迷って)である。


動かないで
目の前の木も足下の低木も迷ってなんかいない
君がいるところは「此処」とよばれているところだ
君は「此処」を力のある異邦人のようにあつかわなければならない
「此処」を知るために、「此処」に知られるために君は許可を得なければならない
森は息づいている。。。耳をしましてごらん
答えてくれるよ
『私は君のいる場所をつくったよ
此処を出ても、「此処だ」と言って帰ってくるかもしれないよ』と
カラスにとってはどの木も全部違う
ミソサザイにとってはどの枝もちがう
木や低木のやってることが分らなくなったら
君は本当に迷ってしまっている
立ち止まりなさい
森は君のいる場所を知っている
君は森が見付けてくれるのを待たなければならない
(やっぱり詩の訳はむずかしい。)


今の私には「otherwise healthy」(その他はいたって健康)というのが一番大事なのだ。お昼は病院の中にあるオーボンパンで、スープ(大)とブランマフィンとナッツを食べた。食欲はかなり旺盛。ただ家に帰って来てから爆睡した。前回の内視鏡検査でもそうだったが、麻酔が残っているらしく安らかにいくらでも寝られるのだ。長い昼寝からさめてから食事をつくったので夕食が終わったのは10時だった。


ところで、今朝は10時半に検査だったので、8時に家を出た。これまでの経験でBWHまでは2時間余裕を持っていれば十分な筈だった。ところが今回の記録的な雨のせいだろうか、高速に入るランプから出るまで、時速10キロか止まっているかの渋滞なのだ。9時に携帯から電話をすると10時にもう一度連絡するように言われたが、9時40分の時点でもう無理だと思った。夫はもう無理だから電話を掛けてまた日を改めて出直すと言った方がいいと言う。でも今日検査ができなかったら来週の月曜日に治療方針が決められなくなる。


「渋滞が全然良くならなくて、10時半はとても無理なようです。最善をつくしていますが何とか宜しくおねがいします」
「あ、大丈夫ですよ。9時に連絡してくれたでしょう?ちゃ〜んと待っていますから安全運転で来て下さい」


その「ちゃ〜んと待っています」の言葉ほど嬉しいものはなかった。すっかり安心して車の中で読みかけの本を読む余裕もできた。その後突然渋滞がなくなって結局は10時15分に到着でき、バタバタと廊下を駆けて内視鏡センターの扉を開けた。「あら、ちゃ〜んと間に合ったじゃない」と係の看護婦やアシスタントが声を掛けてくれた。このセンターでは1日60〜90件の内視鏡検査が行われると言う。それにもかかわらず患者を個人として扱ってくれる。その真の意味でのプロフェッショナルなケアがとても嬉しかった。