10日程前久しぶりに行った教会で友人のCさん(81歳女性)と会った。

Cさんは3年前に2番目のご主人を亡くし、この8月に50代の娘さんを突然に亡くした。彼女の最初のご主人は若い時に病死、もう一人いたお嬢さんも大分前になくしている。

この4月には彼女自身も末期の喉頭がんの診断を受けている。

8月にお嬢さんのメモリアルサービスでお会いした時、彼女の私への言葉は「I am totally broken(私、打ちのめされちゃった)」だった。4月に自分の末期癌が分かった時、彼女は治療をしない選択をし、自分の遺産、不動産を娘さんに遺すよう手配を始めた。その手配が終わった時に娘さんを失ってしまったのだから当然だ。

10日前に会った時は8月に較べるとずっと元気になっていた。
病状を聞いたら
放射線の姑息治療(QOL向上のための治療)をしておよそ3週間目。腫瘍はすごく小さくなって楽になったんだけど」との答え。
「じゃ、今週仕事のない日に私が放射線医のオフィスにドライブして上げる。そしたら車の中や医者のオフィスで色々お喋りできるじゃない?」と安易に提案したところ、「とんでもない!私、まだ一人で運転できるわよ。せっかく時間を一緒にすごすんなら楽しいことしましょ。お茶をご馳走するから家に来てよ」と言われた。

そこで大統領選の翌日彼女の家を訪ね、一緒にお茶をした。家の中は掃除が行き届いてきれいだ。「放射線医がびっくりするほど効果があって、腫瘍が殆ど消えちゃったのよ。放射された部分がかなりヒリヒリするから食べるのは大変だけどね」「それに、御陰さまで元気があるのよ。だからまだ自分で掃除もできるし、ご飯もつくれるし」「あ、ところで肺にも転移しちゃったの。今2センチぐらい。口内の治療が終わったらこの治療をするかもしれない」

その日は今年初めての雪が降り始めたので早めに失礼したのだが、会話の殆どは「オバマが勝って良かったよね。アメリカのミドルクラスも捨てたもんじゃないね」などのごく普通のものだった。

癌が彼女の体内で猛威をふるい出す日は近いのかもしれない。でも彼女はきっと一歩一歩自然体で向き合って行くにちがいない。そして私は彼女と過ごして行く時間から沢山の勇気と元気を貰って行くに違いない。

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台湾人の彼女は37歳。仕事に空きのある日は彼女の車の運転の練習につきあっている。

「Student Driver」のマグネットスティッカーをベタベタ貼って彼女は運転を開始する。助手席に座って「車線変更の時はちゃんと後ろを確認してね」とか「あ〜〜スピード出し過ぎ」と優しく言ってあげるのが私の役目。

彼女のご主人は去年の秋メラノーマのステージ4の診断を受け手術を受けた。その後の治験薬治療がうまくいかず、転移はどんどん広がっている。

彼女のご主人は大学の助教授。去年の秋やっとテニュア(終身雇用資格)のある仕事に赴任でき、結婚して10年目でやっと子供や家族の可能性を考え出ることができるようになった。進行してしまった癌が発見されたのはそんな時だった。

現在はフェーズ1の新しい治験薬を試みているのだが、副作用、あるいは転移の進行によって彼が車を運転できなくなる日が来るのは目に見えている。だから今彼女がスキルとしてまず身につけなければならないのは運転技術/免許証。

彼女と私はこの練習時間をつかって美味しそうなランチを出してくれるレストランに出掛けることにしている。

昨日のことだ。何時もケラケラ笑ってばかりいる彼女が真顔になった。

「化学治療の前にスパームバンクに精子を預けてるの。年間保管費がおよそ10万。そろそろ更新時期なんだけど、人工授精をして妊娠しようかと思ってるの」「私は英語もあまりできないから、夫がなくなれば台湾にもどって子供を育てることになると思う。保険の心配もしなくていいし」「でも子供はここで生みたいの」

「友人はね、子供がいたら再婚してくれる人がいなくなるからやめろって言うんだけど」「親からはバカだって言われてる」

私には「最終的にはアナタが決定することよね。でも生むんだったら、育児をどうするか、社会制度をどう使って行くかをちゃんと考えなきゃだめよ。シングルマザーのプロにならなきゃ」としか言えなかった。

10年間結婚していて、そのパートナーを癌に奪われる。その人の子供が欲しいという気持ちは当然だ。

「生きる」って一体何なんだろう。「愛する人の子供が欲しい」という気持ちを貫くことこそが生きるってことなんじゃないだろうか。

ふと、昨日ツイートで流れて来た村上龍の言葉を思い出した。
「それが退屈だと知らずに、平穏だと勘違いして退屈な人生を生きている大勢の人たちがいる。最悪なのはそういう人たちだろう」