kuwachann2007-06-16

美しい夏日だったが午後5時過ぎに空が突然暗くなり雷と共に雨が20分ほどふって、その後は肌寒くなった。夏至が近いというのになかなか夏になりきれない。


友人のご主人の御母様のメモリアルサービス(追悼式)が1677年に立てられた古い教会で行われた。この友人の御父様が、これまでに何度も書いた93歳のピアニストである。今回の追悼式でも式の前の前奏曲ショパン)、冒頭の音楽(バッハ)、式後のポストリュードを演奏なさった。この友人の家族は殆ど全員がプロ級の音楽家で、追悼式も家族コンサートみたいだった。ご主人が賛美歌の伴奏をする。2人の息子達がピアノのチェロで2曲、ピアノとギターで1曲(次男が作曲した曲を演奏しながら2人で唄った)。私の友人もプロ級のバイオリニストなのだが、ご主人側の直系を尊重したのか、彼女は弾かなかった。男の子2人がピアノ越しに目で合図しながら真剣に演奏している。亡くなったお母様にとってこれほど嬉しいことはなかっただろう。


私は米国ではプロテスタント系のメモリアルサービスにしか参加したことがないのだが、そこにある明るさが好きだ。死後彼らは『神の御国』にはいることになり、それは喜ばしい勝利なのだ(私の理解する限りでは。)だから追悼式にはみんな明るい色のドレスでやってくる。式の中でのスピーチは亡くなった彼女(90歳)が1993年に書いた10ページぐらいの自叙伝の抜粋だった。「私は生まれた時5キロもある巨大児だったから、母は大変だった」とか「高校の卒業の時の赤のドレスがとっても綺麗だった」とか「高校3年の時にプロポーズされたけど、結婚しなくて良かった」とか気が強くてユーモアのある彼女の声がそのまま伝わって来る。私の知っている彼女は車椅子生活だったけれど当然そういう時期があったわけだ。聴いているうちに彼女の若い時の姿が生き生きと甦って来る。あんまりよく知らない人だったけれどとっても愛おしくなた。


私の追っかけている例のピアニストは、午後は100歳の人の誕生日パーティのためにピアノを演奏する「仕事」があるそうだ。式の後は車で1時間半ぐらい離れた所に出掛けなければならないらしかった!!


夕方からは御友達の家でディナーだったので、隣町まで車を運転して新鮮な鮭を仕入れてカルパッチョをつくって持って行った。メニューはタイ風の人参スープ、メカジキのベーベキュー、インド風のスパイスライス、アスパラガス。デザートは採れたての苺とムース(朝苺摘みにいったそうで、その甘いこと!)久しぶりに12時すぎまでお喋りしてしまった。