春らしい光に溢れた暖かい日。朝一で新聞のスドクを解いて、水彩。そして友達とお昼を外食。別の友達と散歩。その上税金処理もかなりはかどり、本も一冊読み上げ、なかなか充実した日だった。


年に1度は鹿児島に帰省するのだが、その都度『読み終えた本』をくれる友達がいる。私が絶対に読まないだろうと思う本をいただき、それを読む。なかなか面白い経験だ。去年の4月に帰った時も、そして今回も遠藤周作の本がかなり入っている。今回はその中に「悲しみの歌」(昭和52年初版)が入っていた。実は高校の頃「遠藤周作はむずかしい。キリスト教がはいっているから」(狐狸庵ものをのぞいて)と評判があって、ちょっと避けていた作家である。


まずびっくりしたのは、その古さ。昭和52年というと、私が21歳、大学4年の時。新宿が舞台になっているのだがこんなだったっけ?登場人物の心象はまだ戦後の焼け跡だ。生真面目に正義を追求しようとする戦後派と当時のノンポリ学生。実は私はまさにこのノンポリ学生だったわけだけど、描かれている道徳観にしても何にしても古いし、まだ貧しい。そうだったけかな〜。でもそう言えば、当時よっぱらうと軍歌を歌う中高年って居たよね。


次にびっくりしたのは、全然むずかしくなかったこと。多分私が米国に来て(基督教信者じゃないけれど、)キリスト教の枠の中での精神生活に触れ、カトリック教の教えや、聖書などが分っているからかもしれないけれど、最初の1章で話の展開が見えて読むのが苦しくなった。これはヨブ記だ。


さて、夜の11時に息子を駅に迎えに行く。疲労のせいか、面接が上手く行かなかったのか、かなり不機嫌。何度言っても車のシートベルトを締めない(何故か彼は不機嫌な時、私が横にいるとベルトをしめない。私をヒステリックに怒らせたいらしい。)いたわってやろうとか、夜食をつくってやろうとか思っていたけれど、「お腹がすいてるなら作り置きのスープがあるし、冷凍のピザもあるから」と言い捨てて寝室に退散。親子関係ってのは、なかなか理想通りには行かない。