久しぶりの両親の家。年老いた人の家はどこでもそうなのだが、テーブルの周りに着替えの洋服や紙くず、食べ物が転がっている。体が不自由だから手の届くところにモノが堆積する。片付けたいけど洋服類は見えないと忘れてしまう。



戦後10年目に結婚をした両親は今の中国みたいな時代に生きてきた。高度成長なんだけど根本的にはまだ貧しい時代だ。15年ほど前に新築した家のキッチンは収納棚も充分にあるのに、調味料もお鍋類もお野菜もまるで当時のように台の上に乗っかり、動きが取れなくなっていて、お米をしかけるのさえ大変になっている。午前中はワゴン家具を動かし、要らないものを捨ててキッチンの大掃除。10年前に兄弟で贈呈した皿洗い機も全く利用されず場所をとっているばかりなので業者を呼んで処理してもらい、変わりに昔ながらのプラスチックの水切りを置く。人間は歳とると慣れ親しみカンファタブルな『時代』に戻るようだ。



日本の贈答、お返しの風習って悪癖だと思う。すっかり年老いてお付き合いの範囲も小さくなった両親だけど、忌明けのお返しのシーツ、タオルが使われる見込みもなく山になって忘れ去られている。お葬式の度に限られた年金生活の中でお金を包み、必要でないものを貰う。そしてそれが全て過剰包装。そうやって経済が動いている訳ではあるけれど。



おでんを母と一緒に仕込んでから、午後からは市役所でパスポート用の戸籍謄本を取得。久しぶりの日本のお役所。30年前とあんまり変わらない。