信じられないような偶然:オーストラリアからの手紙

何となく懐かしい筆跡の手紙がオーストラリアから届いたのは昨日の午後だった。住所は9年前まで住んでいた同じ町内の古い住所宛。人口1万7千人ぽっきりの町だからか、郵便局は住所変更有効期限が過ぎてから何年も経つのに古い住所宛の手紙も必ず現住所に回してくれる。米国の田舎(特に北東部)には未だにそんなところが残っている。


さて、手紙は大学時代の恩師S先生からだった。S先生はイギリス人で鹿児島大学で英会話講座をもっていたのだが、30年前の鹿児島では外人はまだ珍しくかなりの有名人だった。先生は鹿児島大学を去った後韓国のウルサン大で講師になったが退職後はオーストラリアに住んでいる。3,4年前に20年ぶりぐらいにクリスマスカードを頂きその後の足跡を知ったのだが、忙しさにかまけて返事を出すタイミングを逸していた。


『私も80歳になりました。去年の12月に脳卒中で倒れましたがかなり回復しました(確かにこれだけの手紙をタイプでき、昔ながらの筆跡でサインできるのだから順調なのだろう。)でもリューマチも糖尿もあります。子供達(ちゃんと名前を覚えていてくれた!)は元気ですか。。。。』


「ね、ね、S先生から手紙が来たよ。今はオーストラリアの○○に住んでるんだってさ。場所の検討は全然つかないけどもし旅行中通過することがあれば電話でもして会ってみたら?あなたがオーストラリアにいるなんて凄い偶然じゃない。これを逃したらもう会えないだろうし」とさっそく夫にメールした。


夫から来た返事で驚いた。なんと彼は今その先生の住んでいる町にいるのだ!先生の住所は通りを2、3つ隔てた所だという(旦那がオーストラリアの何と言う名の町にいるのか把握していない私も私だけれども、ちゃんと教えてくれなかった夫も夫だ!)こんな偶然ってあるだろうか。多分今頃夫と先生はオーストラリアのメルボルーンの周辺の小さい町で出会っている筈である。


自分が日本語を長年教えたから分るのだが会話の試験は難しい。大学3年の前期の会話の試験の際、S先生は私と話すネタがなくなった。苦し紛れに「○○さんはESSの部員ですよね。今度教育庁に来たアメリカ人は日本語もできるしとてもしっかりしています。クラブで指導者が必要な時に頼むといいですよ。名前は○○さんで。。。」「分りました。いつか紹介してください」という展開になった。


実はその時「日本語もできるとてもしっかりしたアメリカ人」と形容された人が今の私の夫なのである。本当にそうであったかどうかはさておいて。