夫の日本での恩師である教育史の専門家を訪ねた。彼は私の父と同年齢の77歳なのだが、去年の1月、私が彼を訪問してから1週間後に、黄斑からの出血で失明した。しかし未だ光りとぼんやりとした輪郭は探れるとのことで白い杖をつきながらだがスタスタと歩かれる。彼の奥様と彼との会話にはいつも感動することが沢山あるのだが、今回心に残ったのは、失明した時彼が医者から言われたという言葉だ。


一人の医者は彼に「先生、出血が頭でなくて目でよかったですね」と言い、もう一人は「失明が80歳代ではなく70歳代で良かったですね。70歳は未だ若いから適応が十分にできます」と言ったのだと言う。



彼は今昔書いた著書の改訂作業をしている。昔の生徒が著書をチャプター毎に読んでテープに吹き込んでくれたので、それを聞きながら削除、書き換えを行っているのだ。失明当時は奥様を使っての口述など色々な手法を試みられたのだが、結局は大きな字を自分で書くことにしたのだと言う。手元の字は全然見えないので最初のうちは「へん」と「つくり」が重なったり、行が重複したりそうだが、今は見事にまっすぐに行替えをして字を書かれる。人間の適応力には本当にすばらしいものがある。



彼と奥様との会食の後は、シカゴ時代の友人でキルト作家のお宅にお邪魔して、手巻き寿司の夕食。手作りの夕食もとても美味しかったけれど、彼女のすばらしい作品にはため息が出るばかり。



こんな感じで毎日滋養のつく方々とであって、美味しい和食を食べているからだろう。日本に到着した頃は皮膚の下が「すかすか」した感じでやせていたのに、大分身が入ってきて重くなってきたような気がする。