kuwachann2007-06-25

中古のスバルアウトバックを購入した。金曜日に手付金を払い今日は残額を小切手で払って車を引き取って来た。


交渉の途中でセールスマンに「現金で払うと負けてくれますか」と訊いたら「いやローンを組んでくれた方がいいんです」と言われた。確か10年ぐらい前までは「現金払いの客=上客」のはずだったのだが、今やお金を持っていなくてローンを組まざるを得ない客が上客なのだ。その客がローン地獄で苦しんで自己破産しようが誰もかまわない。怖い世の中だ。


米国の車のセールスマンは「他に仕事がなかった」人が糊口をしのぐために一時的に従事している場合と、セールスを長年やっていて人当たりのいいベテランタイプに分かれる。今回も「マッサージ学校に行ったんだけど就職口がなくて1週間前から車を売っている人」と「証券会社でレイオフになって家にいると気が滅入るから一応今は車を売っている人」の2人に出会った。しかし、結局は1台売ったらなんぼの世界だ。ベテランのセールスマンだと人当たりはいいのに「鮫みたいに」(英語の表現です)老獪だから用心しないと必要以上の保証やサービスを買わされてしまう。今はインターネットで比較ができるし、値段構造も分るようになったので消費者が強くなったけれど、昔はお客はセールスマンのいい鴨でしかなかった。


車のセールスマンと対応するたびに思い出すのがジョン・アップダイクの小説「Rabbit, Run」(走れウサギ)である。ラビットというあだ名の主人公は奥さんのお父さんの経営するダットサン(昔の日産)ディーラーで1時的にセールスマンをやっている。大学生の時に苦労して読んだ数少ない原文の小説だからだろうか(かなり日本語訳にもお世話になったけれど)非常に印象の強い小説だった。現実逃避ばかりしている駄目男のラビットに「アイデンティティの喪失」の象徴を見たりなんかしてレポートを書いたりしたのだが、最近大変な勘違いをしていたのではないかと思うようになった。実はずっと単純に単なる駄目男の話だったのではないだろうか。


小説の出版されたのが1960年。日本車の評判なんて「安かろう悪かろう」の時代だ。さらに車の値段なんてセールスマンの腕次第でいくらでも幅のあった時の話だ。ふらふらと不倫をしてしまった後、とりあえずカーディーラーでヤクザなセールスをやっている「最低」な男のストーリーなのかもしれない。そう言えば自宅の描写に「たんぽぽ」が出て来た。米国では芝生の中のタンポポは親の敵のように嫌われる。芝生にタンポポが沢山でてきたら『家が荒れている』ということなのだ(当時は単にのどかな『春』の描写だと読んだ。)


文学には普遍的なものが沢山含まれていて翻訳されさえすれば意味は分るし感動もする。しかし社会的背景やシステムを理解していないとかなり誤解をしてしまう(尤もそれを単に『誤読』と言えないところが面白い所でもあるんだけど)。例えば今日本のアニメに夢中になっている米国の若者の感動と日本人の感動はかなり違う筈だ。


週末にメーンでとっても寝心地のいいデッキ用の椅子を仕入れた。根っころがって本を読むのに最適のものだ。今年の夏はRabbit, Runをもう一度読んでみようかな。